キャンディロードの蒸気機関ロードローラー


スリランカの主要幹線道路の舗装率は、アジア各国の中でも高い事をご存知でしょうか?スリランカの主要幹線道路について簡単に説明すると、日本の国道に該当するAグレード道路、それに準ずるBグレード道路、その他のマイナー道路に区分されています。例えばA1はコロンボ〜キャンディ間、キャンディロードと呼ばれています。日本風に呼べば国道1号線になります。A2はコロンボ〜ゴール〜ハンバントータ間でゴールロードと呼ばれています。

 道路の舗装率が高い理由は、1815年から始まった英国の植民地時代に、主に紅茶やスパイス等の輸出用産物の運搬と、英国人達が避暑地に向かう為に道路舗装を進められた結果です。現在でもこの時代の舗装面が使われている道路が多くあります。道路だけでなく多くの橋もこの時代に架けられています。

 興味のある方は、橋の欄干等を注意深く捜して下さい。製作年代と製作会社、製作場所等が記されたプレートを見つける事が出来ます。そのプレートには1800年代の年号とロンドンなど英国の地名と会社名が書かれているはずです。但し、橋の下に行く時には上ばかり見ていないで足元にも注意してください。地方に行くと橋の下は公衆トイレ代わりに使われている事が多いからです。

 この時代にどの様にして道路舗装工事が進められていたかと云うと、現在と殆ど同じ様な建設機械を使って工事が進められていました。

 それではこの時代の建設機械の動力は何だったと思われますか、まさか象や牛が引っ張っていたなんて考えないで下さい。当時は蒸気機関が使われていました。蒸気機関車と原理は同じで、石炭や木材を燃料として動いていました。みなさんのご近所で道路舗装工事をしている場所があったら、少しの時間でかまいませんから観察して下さい。様々な建設機械が活躍していますが、その中でも一番目を引くのは大きな鉄のローラーを前後に装着したロードローラーです。大きなローラーをゆっくりと前後に回転させる事によって舗装面を押し固めていきます。日本では江戸時代末、東海道をはじめ多くの街道が未舗装だった頃です。下に〜下に〜なんていう掛け声で大名行列が行き来し、「熊さん」や「八っさん」が御伊勢参りをしていた頃に、スリランカでは既に蒸気機関のロードローラーを使って道路の舗装をしていたなんて想像できましたか?

 スリランカ中央高原地帯にあるキャンディは15世紀後半から約350年の間、都があった古都で、日本でいえば京都にあたる場所です。ここにはお釈迦様の歯を収めている事で有名な仏歯寺という寺院があり、現在でも観光客の殆どが訪れる観光地として知られています。又、キャンディから南に約65km進むとヌワラエリアがあります。ヌワラエリアは英国植民地時代に日本でも有名なセイロンティーの産地として、又、在留英国人の為の避暑地として発展しました。

 1889年にアジアで最初にオープンしたヌワラエリア・ゴルフクラブが有名です。ヒルクラブやグランドホテル等の古い英国スタイルのホテルが当時のままの雰囲気を残して営業を続けています。夜になると気温は10度以下になる事もあります。ロビーの暖炉では薪に火がつけられ、部屋にはベッド用の湯たんぽが配られます。

 ヌワラエリアは僕の好きな場所の一つですが、コロンボに住んでいる外国人の中には土曜日または日曜日の早朝にコロンボを出発して、日帰りでゴルフだけをしに行く人もいます。そんなに急がないでゆっくりしていけば良いのにとも思いますが、皆さん色々と忙しいのでしょうね。

 コロンボとキャンディを結ぶキャンディロードは全長約110kmあります。この道も前記の理由で、キャンディを経由してヌワラエリアに行く幹線道路として舗装工事が進められました。現在のキャンディロードの沿線では、コロンボの市街地を抜けると数キロ毎に現われる街並み、田園地帯、パイナップル、ココナツ等の果樹園、賑やかにカシューナッツを売る女性達、ヤマアラシやオナガザルを連れた大道芸人達を見る事が出来ます。100年以上前の沿線がどんな風景だったかは想像するしかありませんが、未開発地域が多く様々な動植物が見られたと思われます。

 そんな中を、機関車トーマスを連想させる外観のロードローラーが煙を漂わせて、道路を舗装しながらキャンディを目指してゆっくりと進んで行った光景はなんともユーモラスですね。当時使われていた、蒸気機関の建設機械は現在でも見る事が出来ます。キャンディの少し手前の曲がりくねった坂道を登りきって、しばらくするとスリランカ国鉄の踏み切りがあります。ここを渡った直後の道路の右側にハイウェイミュージアムと小さな公園があり、ここに数台の蒸気機関の建設機械が展示されています。      

 建設業の方はもとより、歴史に興味のある方、時間に余裕のある方には仏教遺跡等とは一味違ったスリランカの歴史の一こまとして、お薦めの場所です。展示物を見ながら当時の舗装工事の様子思い描いてみて下さい。そして英国の厳しい植民地政策の下で、この舗装工事のために過酷な労働を強いられていた人達がいた事も忘れないで考えて下さい。