世界一高価な玩具



世界一高価な玩具はスリランカの車と言った友人がいました。確かに全員ではありませんがスリランカの大人は自分の車を手に入れた時はもちろん、他人の車であってもハンドルを握った時には、まるで念願の玩具を買ってもらった子供の様に目を輝かせます。新車でも、動くのが不思議と思われるビンテージ物のモーリスでも同じです。

 スリランカには国産車がないので全て輸入車になります。関税が高いので車を持つと云う事は、一部のお金持ちを除き大変な努力の結果だと言えます。このような事情からか、車を買うためにお金を貯め、可能な限りのコネを使い、やっと入手した車にかける愛情は大変なものです。ところが、子供が玩具で遊ぶのと同じで最初のうちは大切に扱うのですが、徐々に大胆になり自分の都合にあわせて運転するようになります。スピードを出す事と前の車を抜く事が生きがいになる人を多く見かけます。

 コロンボをはじめ各都市では朝夕および学校の下校時に交通渋滞があります。コロンボでは自宅で昼食を取る人も多いので小規模な昼食渋滞、金曜日の午後にモスクへ礼拝に行くための渋滞があります。

 私の自宅からオフィスまで歩いても4〜5分の距離でしたが、渋滞時に車を使うと20〜25分かかります。私は日本では社有車に乗るような立場ではないし、歩くのが好きですから歩きたいのですが、外国人が歩いて出社するのはみっともないと言って運転手のウダヤ君が歩かせてくれませんでした。そのためにオフィスはすぐ目の前なのに自宅を早く出る事になります。ウダヤ君は毎朝4時に起きて郊外の町からバスを乗り継いで私の自宅まで来ます。そして洗車、ワックス掛けをして車をピカピカにして出番を待っています。

 日本でも一昔前はそうだった様に、車に乗っている事がステータスのようです。町中では歩く事を除くとバス、タクシー、三輪車等を含む自動車の類しか移動手段がないので道路が混むのはしかたないのですが、日本人を始めとして多くの外国人は職住接近の環境で生活しているにも拘わらず、たくさんの人がこんな理由で不必要に車を使っている事が渋滞の一因ではないかと考えてしまいます。私も赴任から1ヶ月ほどは出社時や昼食時に車を使いましたが、その後は歩くことにしました。それでもウダヤ君は毎朝車を磨き、私より一足早く出発します。 私は少し遅れて家を出て、途中で渋滞に巻き込まれているウダヤ君に手を振り、途中で顔なじみの三輪車のオヤジさんと朝の挨拶をし、いつも居る乞食さんと挨拶をし、オフィスでウダヤ君の到着を待つのが日課でした。渋滞の無い日もたまにはあるので、そんな日はウダヤ君がオフィスの駐車場でしてやったりと嬉しそうにニコニコしながら私を待っている事は言うまでも有りません。

 コロンボは町自体が小さいのでバンコクやジャカルタの渋滞を知っている人にとっては、極めて短時間で局地的な渋滞でしかありません。この短時間の渋滞の中でも多くのドライバーは1台でも多く前の車を抜く事が使命とばかりに、少しでも車間が空くと我先にと車の鼻先を突っ込んできます。そして身動きが出来なくなるばかりでなく接触事故も多発し、これが新たな渋滞を呼び起こす事になるのは判っていても、してしまうようです。渋滞時だけではありません。道が空いてくると、それぞれの車が可能な限りスピードを出さないと気がすまない傾向にあるようです。

 先が見通せないブラインドカーブや狭い道でもアクセルを緩めない人、反対車線を走って無理な追い越しをする人が数多くいます。その結果として運の悪い場合には、満員バス同士の正面衝突や通学中の子供達の列に突っ込むような大事故になります。新聞では毎日の様に悲惨な事故が報道されますが、プロドライバーだけでなく多くの一般ドライバーも運転マナーに関しては殆ど重視していないようです。普段は温厚なスリランカの人達ですが、車の運転をする時には同じ人かと疑ってしまうほど変わってしまう人が多いのには驚かされます。

ウダヤ君も当初は可能な限りスピードを出して、スラローム競技の様に車の間をぬって運転する事が上手な運転と考えていたようです。他の多くの人もこう考えています。ある日、キャンディまで遠出をした時に彼と話をしました。どんなにスピードを出しても、何台車を抜いても3時間の道のりが2時間に縮まらない。のんびりと景色を楽しみ、話しながら行っても4時間かかる訳でもない。事故を起さずに、道路事情を考慮して時間通りに目的地に着くのが上手い運転。事故を起したら、他人を傷つけるだけでなく自分の家族をも悲しませる事になるといった内容でした。彼の運転は徐々にではありますがおとなしくなりました。スリランカの人だけでなく、日本人でもこのような運転をしていると思い当たる人はいませんか?

 みなさん、自分だけでなく周囲の人達のためにも安全運転をしましょう。