ぼくが見て感じたスリランカ25! ジャフナ珍道中 T 赤岡健一郎 ちょっと前の話ですが、2004年9月にコロンボ市内のショッピングセンターの地階食堂街で、和光大学の澁谷先生にバッタリ会ったことから、この話は始まります。 澁谷先生は大学の学生達を連れてフィールドスタディに来ていました。先生と情報交換をしている間に、2,3日前から条件付きでジャフナまで陸路で行けるようになったことを知りました。条件とは、何らかの政府機関のレターを持っていることだそうです。そんなレターなんて持っていませんが、ジャフナに陸路で行けるチャンスは滅多にありません、無性にジャフナまで行ってみたくなりました。 ジャフナについて少し説明をしましょう。ジャフナはスリランカ最北端の都市、という事はインドに最も近い都市でタミール系の住民が多く住んでいます。 歴史上では紀元前から、17世紀初頭にポルトガルによってジャフナ王国が滅ばされるまでインドの支配下にありました。これまでにも何度か書きましたが、シンハラ系の王朝はインドからの侵攻によってアヌラダプーラから南へと遷都を繰り返しました。おそらく、ジャフナは侵攻のための橋頭堡だったのでしょう。街の雰囲気も、売られている商品もインド製が多く、コロンボとはかなり街の様子が異なります。スリランカには仏教徒が多いのですが、ジャフナでは圧倒的にヒンドゥー教徒が多く、カンダスワーミ寺院の大祭はタミール系住民にとっての最大の祭りとして有名です。ジャフナから対岸のインドまでは約100kmほどで以前はフェリーが運航されていましたが、現在は運航を停止しています。 2004年当時は、ノルウェイ政府の仲介でスリランカ政府とLTTE(注)は休戦協議に入ったばかりの時期だったので、和平ムードが漂っていました。そのほんの少し前までは、政府軍が死守するジャフナを巡って激しい攻防戦が続き、政府軍とLTTEによる支配が交互に入れ替わり、双方の兵士と民間人に多くの犠牲者が出ていました。新聞紙上では連日、政府側が発表する戦況と戦死者数が発表されて士気を鼓舞していました。 注 ちょっと前の話ですが、2004年9月にコロンボ市内のショッピングセンターの地階食堂街で、和光大学の澁谷先生にバッタリ会ったことから、この話は始まります。 澁谷先生は大学の学生達を連れてフィールドスタディに来ていました。先生と情報交換をしている間に、2,3日前から条件付きでジャフナまで陸路で行けるようになったことを知りました。条件とは、何らかの政府機関のレターを持っていることだそうです。そんなレターなんて持っていませんが、ジャフナに陸路で行けるチャンスは滅多にありません、無性にジャフナまで行ってみたくなりました。 ジャフナについて少し説明をしましょう。ジャフナはスリランカ最北端の都市、という事はインドに最も近い都市でタミール系の住民が多く住んでいます。 歴史上では紀元前から、17世紀初頭にポルトガルによってジャフナ王国が滅ばされるまでインドの支配下にありました。これまでにも何度か書きましたが、シンハラ系の王朝はインドからの侵攻によってアヌラダプーラから南へと遷都を繰り返しました。おそらく、ジャフナは侵攻のための橋頭堡だったのでしょう。街の雰囲気も、売られている商品もインド製が多く、コロンボとはかなり街の様子が異なります。スリランカには仏教徒が多いのですが、ジャフナでは圧倒的にヒンドゥー教徒が多く、カンダスワーミ寺院の大祭はタミール系住民にとっての最大の祭りとして有名です。ジャフナから対岸のインドまでは約100kmほどで以前はフェリーが運航されていましたが、現在は運航を停止しています。 2004年当時は、ノルウェイ政府の仲介でスリランカ政府とLTTE(注)は休戦協議に入ったばかりの時期だったので、和平ムードが漂っていました。そのほんの少し前までは、政府軍が死守するジャフナを巡って激しい攻防戦が続き、政府軍とLTTEによる支配が交互に入れ替わり、双方の兵士と民間人に多くの犠牲者が出ていました。新聞紙上では連日、政府側が発表する戦況と戦死者数が発表されて士気を鼓舞していました。 注:タミール・イーラム解放の虎・The Liberation Tigers of Tamil Eelam)タミール独立を標榜し、スリランカ政府に対する武力闘争を指導して いる。 政府発表とは別に色々な情報や噂が巷には溢れていて、大部分は政府軍側が不利だと云うものでした。この頃は、アヌラダプーラから30kmほど北上したバブニヤの町から、ジャフナ直前の町であるパライまでの約150km間はLTTEの実質的な支配地域で、LTTEの行政機関によって統治され、国道9号線は遮断されていました。 ジャフナへは空路か海路で行けますが、どちらもLTTE側の攻撃によって危険なルートでした。このような状況下で、しかも自分の目でLTTEの支配地域を地上から直接見る事の出来るチャンスを見逃す事なんて出来る訳がありません。 澁谷先生と別れると直ぐに、スリランカ人の友人達にジャフナ行きの相談を持ちかけて見ました。友人によれば、そんなレターは無くても何とかなるだろう、お前は何処から見ても外国人だし、立派な肩書きもあるから自分達が一緒に行けば何とかなると言うのです。 僕は日本のパスポートは持っているものの、立派な肩書きとはいっても日本スリランカ文化交流協会の副会長の名刺を持っているだけで、正規のIDカードはおろか何らかの援助計画プロポーザルや会のパンフレットすら持っていないのに大丈夫かと不安になりました。 友人の一人はコロンボ市内でドイツ某スポーツ用品店の店長をしているカルナラトネ君で彼は少し日本語が話せるので通訳とコーディネーター役、もう一人のクルネガラで日本製中古バスを使って路線バス会社をやっているチャミンドラ君が運転手役という配役を直ぐに決めてしまいました。 こんな簡単に計画を進めて大丈夫だろうか、政府軍とLTTEのセキュリティーチェックをパス出来るのだろうか、パス出来なくて捕まったらどうなるのだろうか、そもそも相談した相手が拙かったのではないかと色々と心配になってきました。 僕の杞憂をよそに友人達は気楽なスリランカ人です、何の心配も無い様です。彼達もこのチャンスにLTTEの支配地域を見てみたいのでしょう。普段と違って、驚くほど迅速に計画を建てていきます。2日後に出発する計画が直ぐに出来上がりました。カルナラトネの親戚がジャフナに駐留している政府軍幹部なので、その人を頼って行くという計画です。 ところが、こちらからの連絡手段がありません。現地に着いてから政府軍のキャンプ地で捜すというのです。しかも、ホテル代わりにキャンプに泊めてもらうというではありませんか。いくら親戚関係が濃厚なスリランカでも、緊迫した状況にあるジャフナに連絡もしないで出かけていって、政府軍のキャンプに泊めてもらうだなんて可能なのでしょうか。ここいら辺の計画の杜撰さがとても不安になるところです。 案の定、計画通りには進まずLTTEの支配地内で、しかもLTTEのキャンプに泊まった最初の日本人になってしまうのですが、その顛末は次回書く事にします。 政府発表とは別に色々な情報や噂が巷には溢れていて、大部分は政府軍側が不利だと云うものでした。この頃は、アヌラダプーラから30kmほど北上したバブニヤの町から、ジャフナ直前の町であるパライまでの約150km間はLTTEの実質的な支配地域で、LTTEの行政機関によって統治され、国道9号線は遮断されていました。 ジャフナへは空路か海路で行けますが、どちらもLTTE側の攻撃によって危険なルートでした。このような状況下で、しかも自分の目でLTTEの支配地域を地上から直接見る事の出来るチャンスを見逃す事なんて出来る訳がありません。 澁谷先生と別れると直ぐに、スリランカ人の友人達にジャフナ行きの相談を持ちかけて見ました。友人によれば、そんなレターは無くても何とかなるだろう、お前は何処から見ても外国人だし、立派な肩書きもあるから自分達が一緒に行けば何とかなると言うのです。 僕は日本のパスポートは持っているものの、立派な肩書きとはいっても日本スリランカ文化交流協会の副会長の名刺を持っているだけで、正規のIDカードはおろか何らかの援助計画プロポーザルや会のパンフレットすら持っていないのに大丈夫かと不安になりました。 友人の一人はコロンボ市内でドイツ某スポーツ用品店の店長をしているカルナラトネ君で彼は少し日本語が話せるので通訳とコーディネーター役、もう一人のクルネガラで日本製中古バスを使って路線バス会社をやっているチャミンドラ君が運転手役という配役を直ぐに決めてしまいました。 こんな簡単に計画を進めて大丈夫だろうか、政府軍とLTTEのセキュリティーチェックをパス出来るのだろうか、パス出来なくて捕まったらどうなるのだろうか、そもそも相談した相手が拙かったのではないかと色々と心配になってきました。 僕の杞憂をよそに友人達は気楽なスリランカ人です、何の心配も無い様です。彼達もこのチャンスにLTTEの支配地域を見てみたいのでしょう。普段と違って、驚くほど迅速に計画を建てていきます。2日後に出発する計画が直ぐに出来上がりました。カルナラトネの親戚がジャフナに駐留している政府軍幹部なので、その人を頼って行くという計画です。 ところが、こちらからの連絡手段がありません。現地に着いてから政府軍のキャンプ地で捜すというのです。しかも、ホテル代わりにキャンプに泊めてもらうというではありませんか。いくら親戚関係が濃厚なスリランカでも、緊迫した状況にあるジャフナに連絡もしないで出かけていって、政府軍のキャンプに泊めてもらうだなんて可能なのでしょうか。ここいら辺の計画の杜撰さがとても不安になるところです。 案の定、計画通りには進まずLTTEの支配地内で、しかもLTTEのキャンプに泊まった最初の日本人になってしまうのですが、その顛末は次回書く事にします。 僕が見て感じたスリランカ・目次へ TOPへ |
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