ぼくが見て感じたスリランカ27

               ジャフナ珍道中 U     赤岡健一郎


 僕とカルナラトネの当初の計画では、は早朝にコロンボを出発し、国道1号線(キャンディロード)を経由し、途中から国道6号線を北上して、コロンボから約90kmのクルネガラで古い友人のチャミンドラを拾って直ちに出発。その後国道9号線を北上してコロンボから約210kmのアヌラダプーラを経由して、コロンボから約400kmのジャフナまで12時間かけて3人で運転を交代しながら突っ走ろうというものでした。

 日本のように高速道路があれば400kmは3、4時間あれば走破できる距離ですがスリランカではそうはいきません。コロンボ市内を一歩離れると国道とは言っても名ばかりで道路事情は相当に悪くなります。特に夜間から早朝にかけては街灯が少なくて見通しが悪い上に、ヘッドライトの光の中に路上で寝ている野良牛や野良犬、無灯火の対向車が突然に現われて肝を冷やす事が多々あります。

 コロンボ市内でも実際に野良牛と衝突した経験を持つ駐在員が多数いるくらいですから、郊外に出れば危険度は増します。野良牛であるにも拘わらず、後になると必ず牛の所有者なる人物があらわれて損害賠償を求めてくるそうです。街中で牛の放し飼いでもしているのだろうかと不思議な気がします。

 クルネガラについて簡単に説明しておきましょう。クルネガラは1200年代末から1300年代の半ばまでの約50年間シンハラ王朝の都があった町で、町の中央にはエレファントロックと呼ばれる象の形をした巨大な岩山がそびえ、頂上には王宮があったと言われています。町田に住んでいるスリランカ人のシリーヘラットさんはクルネガラの出身です。

 これまでスリランカを紹介させて頂いてきて、今日になって初めて気が付いた事があります。何処かの町を紹介すると、何年かの間はシンハラ王朝の都があった町と書く事が多い事です。短期間で遷都したり、同じ町が何度も都に返り咲いたりするので、スリランカの学生さん達は歴史の時間に都の変遷史を覚えるのが大変だろうと同情したくなります。

 計画の最大の難関は、前号で紹介したLTTE(タミール・イーラム解放の虎/the liberation tigers of Tamil Eelam)の虎の支配地域をいかに早く通過するかでした。LTTE支配地域の南端にあるバブニヤ(バンニ)と北端にあるパライの町にはチェックポイントがあり、チェックポイントのゲートは3段階にわかれていました。LTTEの支配地域への入り口に当たるバンニの場合には最初にスリランカ政府軍のゲート、次に国際赤十字のゲート、3番目にLTTEのゲートがありました。逆にLTTEの支配地域からの出口に当たるパライでは、LTTEのゲート、国際赤十字のゲート、政府軍のゲートの順になります。各ゲート間は1.5kmぐらい離れていたと思います。

 ゲートは午前8時に開門され、午後5時に閉門されます。この時間を過ぎるとゲートは閉められて、LTTE支配地域を通過できなかった全ての車両は足止めされるので、何が何でも通過しなくてはなりません。足止めされた車両と乗員に対するペナルティが有るのか無いのか、LTTEに属さない旅行者が宿泊できる施設があるのか等の情報は集まらなかった、と同行の友人達・カルナラトネとチャミンドラは言っていました。友人達は、閉門時間がそんなに厳格に守られるわけが無いから心配するなと言うのですが、ここが一番気になるところです。
さて珍道中の始まりです。僕とカルナラトネは予定通り早朝4時にコロンボを出発して予定よりも早く、1時間30分ほどでクルネガラのチャミンドラ宅に到着しました。順調な滑り出しと思われたのですが、チャミンドラ宅でアクシデント発生です。

 家に着くと、チャミンドラが出てきて母が朝食を用意しているから食べてから行こうと言うのです。計画ではアヌラダプーラで休憩がてら朝食を食べる事になっていたのですが、少し早目にクルネガラに着いたので「用意出来ているなら、まぁ良いか」と思ったのが間違いでした。

 朝食の用意が出来ていると思って家に入ったのですが、朝食の用意をしている最中でした。カルナラトネは慣れた様子で「いつもこうなんだ、ここの家のカレーは美味しいよ」なんて言って椅子に座って新聞を読み始めています。チャミンドラは「母が、初めて我家を訪ねてきた外国人に我家のカレーを食べさせたいと作り始めたので仕方が無い」と言って近所のパン屋に焼きたてのパンを買いに行ってしまいました。

 朝の6時からカレーかと思ったのですが、スリランカでは一日三食ともにカレーが基本です。スリランカの家庭ではカレーを作り置きをするという習慣はありません。三食共にその都度カレーを調理するので食事の用意が整うまで時間がかかります。

 僕はチャミンドラのお父さんと一緒に、シンハラ語なので何を話しているのは判らないお坊さんの説法をテレビで観ながら時間を潰していました。スリランカのテレビ番組は毎日の最初の放送はお経や説法で始めるチャンネルが多いです。

 漸く美味しいカレーと焼きたてのパンを御馳走になって、予定より1時間遅れて出発する事が出来ました。(続く)

掲載写真の説明

  コロンボから約250km北上したバニーにあるLTTE側最初のチェックポイント。ここからジャフナの直前まで約150kmがLTTEの支配地になっている。後方の制服姿の人はLTTEの入国検査官。更に後方に止まっているバスはLTTE政府の直営バス。既に国家としての形態が整備しつつあった。我々が、日本スリランカ文化交流協会の名刺を提示すると、ノーチェックで通過させてくれた。




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