ぼくが見て感じたスリランカ41


スリランカ大学選抜野球チーム来日


  前回号で、次回はポロンナルワを紹介すると書きましたが、ポロンナルワは延期させて頂いて、スリランカにかかわるホットニュースをお伝えさせて頂きます。7月30日から8月7日まで行われた第5回世界大学野球選手権大会に、なんとスリランカチームが出場しました。これは大事件です。

 大会にはスリランカを含めた8ヶ国からの選抜チームが参加、二組に分かれて予選リーグを行い、各リーグの順位によって準々決勝の組合せが決まります。スリランカはアメリカ、カナダ、台湾と強豪揃いのAグループに入る事になり苦戦が予想されました。Bグループは前回優勝のキューバ、初優勝を狙う日本、韓国、中国とこちらのグループも強豪揃いです。

 少しでも野球に関心がある方ならば、スリランカが参加している事を不思議に思う事でしょう。スリランカを贔屓にしている僕ですら、スリランカでベースボール(硬式野球)が行われている事を知りませんでした。そもそも町中でクリケットに興じている人達を見る事があっても、ベースボールは勿論の事、三角ベースを行っている人すら見た事がありませんでした。アジア予選を突破して参加したというので期待したのですが、やはり予想通りの苦戦続きでした。

 7月30日に行われた第一戦の相手はアメリカで、15対0でコールド負けでした。ベースボール発祥国ですから、この点差は仕方がありません。翌31日はカナダ戦です。この日、町田に住んでいるスリランカ人のシリーさんと応援に出かけました。

 シリーさんは抜刀や空手等の有段者で学生時代はスリランカの体操チャンピオンだったというスポーツマンです。シリーさんにしてもスリランカでベースボールが行われていることは知らなかったそうです。野球の試合を見ること自体が初めて、ルールも全く判らないそうで、試合中にも何故アウトになったのか説明が大変でした。ベースボールには全く興味が無いが、スリランカ選手団の団長であるDr.アソカがシリーさんの友人の友人という関係でアソカさんに会う為に来たそうです。ここら辺がスリランカ人の律儀なところです。

 観客席のシリーさん以外のスリランカ人は、J9という在日スリランカ人向けのFM放送局を開局しているチャンナさんが取材がてら来ているだけで、スリランカ留学生協会の会員すら来ていません。応援に来ているのは青年海外協力隊の隊員としてスリランカに派遣されていたと思われる日本人がほとんどでした。シリーさんも友人を何人か誘ったという事でしたが、スリランカ人にとっては、ベースボールは関心外のようです。ベースボールに関心が無くても、遠来の同胞を応援する気にならないものかと怒りたくなりました。もっとも、対戦相手のカナダにしても同じ様なもので、カナダ側の応援席もガラガラです。

 試合開始時にホームベースを挟んで挨拶するのですが、体のサイズが全く違います。中学生と大学生の試合のようでした。体格差と実戦経験不足の為か、試合の方は18対0でまたもやコールド負けでした。面白かったのは、試合中にも拘わらず、スリランカ代表チームを率いてきたスリジャヤワルデナプーラ大学体育学部の学部長・アソカさんが応援席にやってきて、試合も見ずにシリーさんとビールを飲みながら話し込んでいた事です。本人は野球経験はないそうですが野球普及にかける熱意は大したもので、中古のピッチングマシンを探せないかシリーさんに相談していたそうです。スリランカのピッチャーの球速はせいぜい120Km台なのに対して、対戦相手は140〜150Km台なので球速に目が慣れなくて打てません。その結果、得点を得られずに零敗です。台湾にも16対0でコールド負けし、Aグループの最下位でした。

 予選リーグの結果で決まった準々決勝の相手は、Bグループ1位のキューバです。結果はまたもや14対0でコールド負けでした。キューバはメージャーリーグ予備軍を揃えて本大会でも優勝を狙っているチームです。ここは「こんな凄いチームに14点しか取られなかった、健闘したじゃないか」と考える事にしましょう。その後の順位決定戦でも台湾に21対0、最終試合の中国にも10対0と全試合コールド負けを喫し、1点も取る事が出来ずに最下位でした。因みに大会の結果は1位キューバ、2位アメリカ、3位には元祖ハンカチ王子の斎藤投手(早大)を擁した日本でした。

 離日する前日の9日にシリーさんの招待で、スリランカチームが町田市にやってきました。7月28日に来日してから最初で最後のプライベートタイムです。午前10時に小田急町田駅到着後、町田国際交流センターに移り夕方までのスケジュールを説明し終わるや、アッという間に何処かに散って行ってしまいました。

 僕は残っていた数人のスリランカ人と引率してきた日本人と一緒に行動しましたが、昼食抜きで商店街を歩き回る事になるとは考えもしませんでした。家族や親戚、友人へのお土産やプレゼントを探してスポーツショップ、ディスカウントショップ、100円均一ショップ、廉価電器店、古着屋と歩き回り、その間に、たまたますれ違うチームメートと情報交換しては別の店へと走ります。

 瞬く間に、集合時間の午後5時になりましたが、スリランカ人らしく、全く集まりません。帰ってきた人には動かないでくれと伝えても、他の人を探しに行っている間に消えてしまいます。なかなか手強い人達です。6時近くになってやっと全員集合し、シリーさんの自宅に移動しました。全敗はしたものの、ベストを尽くしたスリランカチームの学生達をねぎらいたいと、アソカさんが前夕からほぼ徹夜で用意したスリランカ料理でパーティーが始まりました。みんな久し振りのスリランカ料理を食べて飲んで大騒ぎです。普通サイズの日本家屋のシリーさん宅に、20数名のスリランカ人と10数名の日本人が集まったので、部屋だけでは足りずに廊下と階段、庭まで使ってのパーティーになりました。

 選手たちに訊いてみると、スリランカでベースボールが始まったのは1996年だそうです。JICAコーチの指導でベースボールを行う子供達が徐々に増えているそうです。捕手のバヌーカ君は大学卒業後は働きながら、自分がベースボールを始めたクラブでコーチをするのが夢なのだそうです。今回の来日メンバーの誰かが指導者となり、世界選手権で1勝する日がくるのが楽しみです。


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