ぼくが見て感じたスリランカ45

スリランカの世界遺産 Z  キャンディ


 今回はシンハラ王朝最後の都であるキャンディを紹介します。

 キャンディは前回紹介したダンブーラから南へ約70Km、コロンボからは東へ約110Kmの距離にある標高300m〜500mの高原地帯(ハイランド)にあります。キャンディの名前はシンハラ語のカンディー・ウダ・ターラ(高い山の国)に由来しています。キャンディ出身者は、自分達はハイランド出身だと言って他の地域出身者とは違うという事をさかんに強調します。特にコロンボ出身者との確執には激しい物があります。キャンディは昔のスリランカらしい雰囲気を残した古都と言われています。コロンボが比較的新しい都市の東京とすれば、キャンディは京都と言えるでしょうか。いずれにしても、キャンディ気質と京都気質には相通ずるところがあると感じられます。

 簡単にシンハラ王朝とキャンディの歴史を説明しましょう。インドからの侵攻によってアヌラーダプラを追われたシンハラ王朝は、ポロンナルワ、ヤーパフワ、クルネガラ、ガンパラと逃避行を続け、1474年に中部高原地帯にあった静かな山村に辿り着きました。前述したように、シンハラ語のカンディー・ウダ・ターラから新しい都はキャンディと呼ばれるようになりました。新しい王宮を築くと共に、歴代の王が王の象徴として大切に持ち歩いた仏歯を奉る寺を建立しました。これが仏歯寺です。アヌラーダプラを始め各都に仏歯寺はありますがキャンディの仏歯寺が最大です。

 アヌラーダプラを始めに、これまでの都は殆どが北部の乾燥地帯に属したために、新しい都を建造する際には灌漑用の貯水池を造るのが歴代の王の慣わしでした。ところがキャンディは温暖な中部高原地帯にあり、1000m級の山に囲まれた盆地にあります。このために水資源は豊富なために灌漑用の貯水池を作る必要はありませんでした。それでも、シンハラ王朝最後の王によって19世紀はじめに12年の歳月をかけて王宮や仏歯寺の直ぐ脇にキャンディ湖が作られました。これは灌漑用というよりは娯楽用だったようで、湖の真ん中に造られた小島は現在でも「王様の遊び場」と呼ばれ、王様のハーレムとして使われていたと言われています。王朝末期になると箍が緩むのでしょうかね。
 16世紀初期になるとインドからの侵攻に代わってヨーロッパからの侵攻が始まります。先ず、ポルトガルがスパイスの権益を狙ってコロンボを中心とする西海岸を制圧し植民地とします。ポルトガルはキャンディのシンハラ王朝の存在を認めはしましたが、スパイスの交易権をめぐって両者の衝突は頻繁に起こりました。17世紀初頭にはオランダが東海岸に進出してきました。シンハラ王朝はスパイス、特にシナモンと胡椒の独占交易権を与える事を条件に、オランダと組む事によってポルトガルを追い出す事に成功しました。ところが、オランダはポルトガルの支配していた地域をシンハラ王朝に返還する、という事前の約束を守らずポルトガルの支配していた西海岸をオランダの植民地としてしまいました。

 ポルトガルにしてもオランダにしてもスパイスの交易権独占という事が大きな魅力だったようです。僕がスリランカで住んでいた地域は現在ではコロンボ7という味気の無い地域番号で呼ばれていましたが、かつてはシナモンの栽培が盛んな場所で、シナモンガーデンと呼ばれていました。今になって思えば、なんだかスリランカの歴史に触れて生活していたような気がします。僕の住んでいた家から数分のところに、紀元前に在位したと伝えられている女帝の名前を冠したヴィハーラ・マハー・デーウィ公園がありました。此処はシナモンガーデンと呼ばれていた時代の面影が唯一伝えられている場所と言われています。2007年に‘わんりぃ’誌上で紹介した「コロンボでもホタルが見られる」(*2007年9月号/126号)と「サマーガーデンレストラン」(*2007年10月号/127号)の話はいずれもこの公園に由来した話でした。(*はわんりぃHPで再読できます)

 話が脱線してしまいました。オランダとも交易権をめぐっての衝突が頻繁に起こるようになり、懲りる事無く18世紀末にはインドを植民地としていたイギリスの手を借りてオランダを追い出す事に成功したのですが、1815年にイギリスによってキャンディは攻め落とされ、キャンディで約300年続いたシンハラ王朝は2000年の歴史に幕を落とす事に成ります。何なんでしょうかね、ポルトガル、オランダ、イギリスの口車に乗せられてシンハラ王朝は末期を迎えた様な気がしています。

 キャンディと言えば仏歯寺、世界中の敬虔な仏教徒にとって仏歯寺は憧れの聖地なのですが、僕はこの寺の中に入った事がありません。仕事でキャンディには毎週行っていたので、いつでも入れると思っていたためです。それと、並ぶ事が大嫌いという性格もあります。プージャと呼ばれる供物を捧げる儀式が1日3回行われ、この時だけ仏歯(犬歯だといわれています)が祀られた部屋の扉が開けられます。スリランカ各地だけでなく世界各地からきた仏教徒や観光客で大行列です。何度か意を決して並んだ事もあるのですが、周りの熱気に負けて次の機会にしようとアッサリと退散していました。それで、結局は行かず仕舞いです。  そんな訳で仏歯寺の内部の説明は出来ないので、申し訳ありません。興味をもたれた方は「○○の歩き方」その他のガイドブックを御覧下さい。(続く)                      


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