ぼくが見て感じたスリランカ紹介63     スリランカ人の物差し・そのW



  前回にお約束した、お寺で行われている日曜学校の話から始めます。シンハラ語では日曜学校をDAHAM PASALA ダハンパサラと呼びます。 

 DAHAMは宗教または仏教を意味し、PASALAは学校を意味します。コロンボのような都市部では日曜学校に通う子供が減ってきていると言われていますが、僕の住んでいたコロンボのど真ん中では、日曜日の朝には日曜学校に向かう子供たちの姿をたくさん見ることが出来ました。先日友人に確認したところ、今でも同じだという事でした。

 コロンボを離れた田舎では、仏教徒の家庭では殆どの子供を日曜学校に通わせています。日曜学校に通うのは男女を問わず就学前の子供から12歳位までで、原則としては白色の服を着て行く事になっていますが、家庭の経済的な事情があれば、何を着て行っても良いそうです。授業料は無料で、費用は寄付や勤労奉仕で賄われています。面白い事には、平日に通っている学校には渋々行っている子供も、日曜学校には喜んで行くそうです。よっぽど楽しく仏教の色々な事を教えているのでしょうね。

 前回話した、週末になると田舎に帰る友人の家では、日曜日の朝食は早々に済ませて、子供を近所のお寺で行われる日曜学校に送り出します。日曜学校はお寺のなかにある専用の教室で、お坊さんが先生になって午前中いっぱい行われます。

 友人に聞いたところでは、授業の内容は仏陀の誕生から悟りを開くまでの歴史や、お経が伝えている事の意味、仏教を生活の中で生かす方法を学ぶそうです。この最後の生活の中で生かす方法というのが、スリランカ人の物差しを形成するのに大きな役割を持っているのではないかと、僕は思っています。つまり、大袈裟かもしれませんが慈悲や寛容の心です。スリランカ人の人なつこさ、大らかさ、自分以外の人の失敗を受け入れるところなどは、これに起因しているのではないかと思います。

 余談ですが、スリランカの公立学校では高校まで仏教の授業があるそうです。また、中学卒業時に行われるOrdinary Level Examination(普通レヴェルの試験) と呼ばれる全国統一試験のような試験にも宗教の科目があります。この試験の結果で普通高校に進学できるか、実業高校に進学するか、中学でおしまいなのかが決まります。スリランカでは日本以上に学歴偏重社会で高校卒業時には Advance Level Examination(進学レヴェル試験)があり、この結果でどのレヴェルの大学に進学出来るか、大学に進学出来ないかが決まります。高校の高学年になると、この試験のために塾通いする生徒がたくさんいます。

 次は僕が見た、スリランカの人達のお寺での過ごし方を話しましょう。コロンボ市内にも、郊外にもたくさんのお寺がありますが、今回はコロンボ中心部からキャンディロードにそって東へ11kmほどのケラニヤという町にあるお寺での事です。ラジャマハーヴィハーラというのが正式な名称ですが、通称はケラニヤテンプルです。このお寺には、お釈迦様がスリランカに来島した時に立ち寄ったという言い伝えがあります。寺の裏側にある河にはその時にお釈迦様が沐浴したとされる場所が残されていて、今でもその場所で沐浴する人たちで賑わっています。特にポヤデーにはたくさんの人が集まります。

 これまでにも何度かポヤデーの事を書きましたが、今一度簡単に説明します。月に一度、満月の日をポヤデーとよんで国の祭日です。この日は、労働や飲酒を止めてお寺へ参拝する事になっています。

 ケラニヤテンプルは、お釈迦様が立ち寄ったとされるお寺だけに、ポヤデーには大勢の人が集まります。お寺の周辺には、お供え物や仏花、食べ物を売る屋台が林立します。境内には本当に足の踏み場もないほど人が集まり、それぞれがお供えや仏花を携えています。オイルランプの燈明が灯され、大勢の人が居るにしては本当に静かに祈りが捧げられています。

 スリランカの人達の祈りの神髄はポヤデーではなく平日に見る事ができます。平日にケラニヤテンプルを訪れると、お寺の隣のバスターミナルも広場もガラーンとしています。本当に伽藍です。階段を登り、寺の門で靴を脱ぎます。次に水場で足を洗って境内に入ります。お寺の内部は何室かに分かれていて、其々の部屋によって違うテーマの壁画が書かれています。例えば、ある部屋はお釈迦様の生誕だったりします。また其々の部屋には仏像が置かれています。

 年配の方も、若い人も、お気に入りの仏像の前に座り込んで静かに祈りを捧げます。まるで仏像と語り合っているように見えます。暫くすると庭に出てダーカバ(仏塔)の周りを何周か歩き、また部屋に戻って祈りを捧げる事を繰り返します。いつの間にか時間が流れるように過ぎて、見ている僕も敬虔な気持ちになってしまいます。この時間の流れがスリランカの物差しの基準かもしれませんね。             (次号に続く)   


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