ぼくが見て感じたスリランカ紹介71 クラモダヤ民族芸術センター (4) 前回の文中に間違いがありました。キャンディとアヌラダプラ、クルネガラを結ぶ三角地帯と書きましたがクルネガラは間違いで、正しくはポロンナルワです。お詫びして、訂正させて頂きます。 キャンディからアヌラダプラまでの約140kmをつなぐ国道9号線沿線が、グラモダヤ民族芸術センターの職員の方から話を聞いた時に、古布が見つかるとすれば此処だろうと思っていた地域です。 キャンディを出発して約25km北上すると最初の大きな町であるマータレーに着きます。信号は殆ど無いのに約1時間かかりました。道が悪いのもありますが、途中の小さな町中で渋滞したり、ゆっくり走るバスを追い越すのに手間取ったり、野良牛が道路で立ち尽くしていたりと、運転するのもなかなか大変です。 マータレー近辺の国道沿いには数軒のバティック屋さんがありました。此処でアジアの手織りの布と染織に関する本を見せて、このような古布を見た事がないか、誰かから聞いたことはないかと尋ねてみましたが、どの店でも色よい返事はありません。手製の民芸品を売っている店でも聞いてみましたが答えは同じでした。やはりシンハラ語が話せないのが致命的で、観光客相手の店の人は英語が通じますが、お年寄りと話をしたくても英語は通じません。コロンボであれば周囲にいる誰かしらが助けてくれるのですが、地方に来ると世話好きのスリランカ人もいないようで、どうやら外国人が苦手のようです。マータレーで古布を探すのは諦める事にしました。 次のダンブッラの町に向かう途中で2カ所寄り道をしました。最初はマータレーの町はずれのアルヴィハーラという寺院です。紀元前1世紀に建てられ、スリランカで4番目に古いと言われています。此処には椰子の葉を蒸した後に乾燥させ、更になめして作るパピラという紙に書かれた、2000年以上前から作られている仏経典が保存されています。寺院内では現在もパピラを使って経本を作っていて、この作業を見学する事が出来ます。パピラという言葉は紙(Paper)の語源となったエジプトのパピルスに似ているのが不思議です。 2カ所目はマータレーから約25km北上したところにある、ナーランダ遺跡です。此処は「スリランカのへそ」と言われています。1000年以上前に作られた仏教遺跡でピッタリ中心ではありませんが、ほぼスリランカの中心に建てられています。十分な測量具や地図が無かった時代に、どのようにして場所を決めたのか不思議です。偶然にこの場所に建てられた寺院を、後になって「スリランカのへそ」と呼ぶようになったのではないかと、疑いたくなります。 しかし、スリランカ赴任中に見た、シーギリヤや各地に残されているシンハラ王朝の代々の王様達が築いた貯水池と灌漑施設の技術を考えると、何らかの方法でスリランカの中心地を割り出したのだろうと思います。 マータレーからダンブッラに向かう沿道にも何軒かのアンティックショップやバティック屋、民芸品屋がありました。ここでも、同じ質問をしたのですが、芳しい成果はありません。その中で、あるアンティックショップの店主は日本語がペラペラでした。奥様が日本人、店主本人も長年日本で働いて稼いだお金でその店を始めたのだそうです。 この店主には言葉の壁が無いので、かなり細かく質問する事が出来ました。村の中で機織り機を見た事はあるが、本に載っている模様の布は見た事がないそうで、殆どのデザインが直線の組み合わせだそうです。此処で予定の日数になってしまいました。収穫がありそうならば、予定日数を延長するつもりでしたが、この調子では何もみつかりそうもありません。今回は諦めて、手ぶらで帰る事に決めました。 ダンブッラからは国道6号線を南下し、クルネガラ経由でコロンボに帰る事にしました。帰路の沿道にもバティックやお土産物を扱っている店はありましたが、わざわざ停まって古布に関する質問をする気にはなれませんでした。クルネガラの町を通り過ぎて暫くすると、進行方向の右側に小奇麗な2階建ての店が見えてきました。良く見ると店の名前と共にHand Woven (手織り)と書かれているのが目に入ってきました。これは大当たりかもしれないと思い、急いで車を停めて店に入り、店長さんに会わせてもらいました。これまでと同じように本を見せて質問をしましたが、答えは同じでした。ただ、この店長さんは、スリランカにもこの本にあるような織物があったと思うと言ってくれました。その後、店内を案内してもらいました。1階と2階がショールームで建物の裏の染色場と機織場になっています。お茶を御馳走になって再び帰路に着きました。今回は古布に関する情報を得る事は出来ませんでしたが、機会があればシンハラ語を話せる人を連れてもう一度挑戦したいと思います。 (続く) 僕が見て感じたスリランカ・目次へ TOPへ |
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