ぼくが見て感じたスリランカ紹介68 クラモダヤ民族芸術センター グラモダヤ民族芸術センターは、スリランカに古くからある伝統芸術を若い世代に後継させる事を目的として1988年に設立されたスリランカでは新しい施設です。 何故、今回このセンターを取り上げたかというと、僕がスリランカとの関わりを深める事になった原因の一つに関係があるからです。それは何かというと、スリランカから帰任して2年ほどがたち、スリランカ熱も少し覚めてきた頃の事でした。何かの折に立ち寄った本屋で、アジアの手織りの布と染織に関する本をみつけました。マレーシアに駐在していた時にバティック(ろうけつ染め)の美しさに魅せられ、アジア各国を歩き回るうちにバティックを含めて手織り布に興味を持つようになっていたので、この本のタイトルが目に入ってきました。1998年発刊で値段は3500円と結構立派な本でした。 パラパラと本をめくってみると綺麗な写真がたくさん使われています。当然スリランカに関するページがあるだろうと、索引を見てみると載っていないじゃありませんか。インドやインドネシア、タイはあって当然だとは思いましたが、その頃はあまり知られていなかったブータンやミャンマーの手織り布が紹介されているのに、なんでスリランカがないの? 載っていたアジア全体の地図では、スリランカはインドと陸続きの様に見えるし、アジア南部の地図にはスリランカそのものが載っていません。 それでも写真の美しさに魅かれてその本を購入し、家に帰って詳しく読んでみると、アジアそれぞれの国の手織りの布と染織を研究している人達の共著である事が判りました。つまりスリランカには手織りの布と染織が存在しないのか、スリランカの手織りの布と染織を研究している人がいないのか、又はこの本の作成に参加していない事が判ったのです。これからだいぶ後になって、日本スリランカ文化交流協会に加入させて頂き会の設立者・会長であり、わんりぃの会員でもある為我井氏がスリランカバティックの第一人者である事を知る事になります。 この本にスリランカの手織りの布が記載されていない事に驚き、スリランカに駐在していた頃を思い出してみました。すると、コロンボにある政府公認の御土産物屋にも、世界遺産に登録されている様な遺跡にある御土産物屋にもバティック製品はありましたが、手織りの布で出来た製品を見た事が無いのに気が付きました。国立博物館でも小さな端切れしかなかったと記憶しています。 この本を購入してから約2年後に退職し、何をするかを具体的に決めていたのですが、1年間は充電期間と考えて好きな事をしてやろうと考えていました。退職しようと考えていた時から、退職後の充電期間中に行うプランの一つとして、スリランカに古い手織りの布を探しに行こうと考えていました。 当時、僕が理解していたスリランカの歴史上の文化では紀元前からシンハラ王朝が存在し、それに伴って豪華絢爛な文化が存在していた事。シーギリヤレディースと呼ばれる、シーギリヤロックの岩肌に残されているフレスコ画の美女達が身に纏っている衣装、キャンディで古くから行われているペラヘラ祭りでシンハラ王朝の王族や貴族達が身に纏っている衣装は、機械化されていない頃からの伝統的な衣装ですから、手織りの布を使った衣装であった事は間違いないと思います。ヨーロッパや中近東と古くから交易していたので、これらの国に交易品として手織りの布が渡って博物館にでも残されていないかとも思います。 僕がスリランカ駐在中には家族はロンドンに住んで居たので、大英博物館にも何度も行っていたのですが、その頃はエジプトやメソポタミア、インダス文化ばかり見ていて、スリランカの手織りの布を探すという気持ちが無かったので、かすかな記憶として小さな布きれを見たかな?という程度です。今思えばなんでちゃんと見なかったと思うのですが、スリランカに今の様に深く関わりを持つようになるとは思っていなかったから仕方がありません。そのうちに暇が出来たら確認しに行こうと思っています。 前置きが長くなりましたがグラモダヤ民族芸術センターを紹介しましょう。前述したように1988年に設立された、伝統芸術を若い世代に後継させる事を目的とした施設です。法律上の首都であるスリージャヤワルダナプラの国会議事堂の傍にあります。 センターではレース編み、宝石加工、木工、金属加工などの技術的な物の他、伝統楽器演奏や伝統舞踊を含めて11のクラスがあり、この中には織物のクラスも含まれています。生徒たちはスリランカ全土から集められ敷地内の寮で、合宿形式で技術の習得に励んでいます。グラモダヤ民族芸術センターの職員の方に古い手織り布の話を聞いて、手織り布探しの旅が始まりました。 (続く) 僕が見て感じたスリランカ・目次へ TOPへ |
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