ぼくが見て感じたスリランカ紹介69 クラモダヤ民族芸術センター (2) 手織り布探しの旅の話の前に、このセンターの事をもう少し話しておきましょう。 グラモダヤ民族芸術センターは、コロンボから車で30分ほど東に走った、スリー・ジャヤワルダナプラ・コッテにあります。首都とはいっても主な建物は国会議事堂ぐらいで、現在はグラモダヤ民族芸術センターが2番目の規模の施設と言えます。各行政機関や住宅、公園、ショッピングセンター等が含まれた都市計画はありますが、全く実行に移されていません。 国会議事堂の向かい側には広大な芝生広場があり、平日は人影がまばらで、野良牛や山羊が草を食んでいる姿ばかりが目立ちます。ところが土・日曜日になると何処から湧き出てきたのだろうと思うほど、人が集まりクリケットに興じています。この広場から、国会議事堂の周囲を囲む池沿いに1Kmほど歩くとグラモダヤ民族芸術センターがあります。 どのようにしてスリランカの古い手織りの布の情報を得よう、と考えていた時に思い出したのが、グラモダヤ民族芸術センターでした。駐在員だった時に、ここより少し先に工事現場があって、週に何度もこのセンターの前を通っていました。当時は全く気にも留めていませんでしたが、調べてみるとスリランカに古くからある伝統芸術を若い世代に後継させる事を目的としている事が分かりました。こんな訳でスリランカの古い手織りの布を探す旅のスタートとして、このセンターを訪問することにしました。 特に古い手織りの布でなくても良かったのですが、例の「アジアの手織りの布と染織に関する本」には各国の伝統的な柄の手織りの布が載っていたので、少し意地になって古い手織り布を見つければ伝統的な柄が分るだろうと考えたからです。 さて、センターには着いたものの受付らしき場所が見当たりません。周囲を見回すと事務棟らしき建物がありました。入ってみると何人かの若い職員がいます。あまり外国人の訪問者に慣れていない様子です。古い手織りの布の情報を探している事、その情報を持っている人を紹介してもらえないか、と伝えたいのですが上手く伝わりません。そうこうしているうちに、奥の部屋から年配の男性が現れて話を聞いてくれました。 彼はこのセンターの所長さんで、日本人がスリランカの古い手織りの布の情報を探している事に興味を持った様子です。彼の執務室に招かれて紅茶を飲みながら、なぜ古い手織りの布を探す事になったのか話をしました。スリランカに駐在員として住んでいた事を説明し、事の発端となった「アジアの手織りの布と染織に関する本」を見せて、この本にスリランカの手織りの布が載っていないのに驚いたこと、伝統的な柄を知りたくて古い手織りの布を探しに来たことを伝えました。 僕の話を聞いた所長さんは、16世紀初めにポルトガルによって始まり、17世紀中頃からオランダ、18世紀末から20世紀中頃まで続いた英国による合計で約450年間に渡る植民地時代に、多くの伝統的な文化が失われたこと、手織りの布もその一つである事を教えてくれたうえ、グラモダヤ民族芸術センターは、そのような失われた伝統的な文化を復活させ、若い世代に引き継ぐために設立されたことを説明してくれました。彼も「アジアの手織りの布と染織に関する本」を見てスリランカの手織りの布が載っていない事に驚いていました。 この後、所長さんの案内でセンターの中を見学させてもらいました。スリランカの伝統芸術を学ぶクラスは、11クラスあるという事でしたが、この日に実際に授業を行っていたのは織物、木工、舞踊等の7〜8クラスだけで、授業を行っていないクラスでは、授業そのものが行われている形跡がありませんでした。所長さんの話では織物や木工等の卒業後に働き口のあるクラスには生徒が集まるが、レース編み等は製品の需要が少なく、働き口が見つからないクラスには生徒が集まらないのだそうです。 織物クラスでは実際に糸を紡ぐ授業や、機織り機を使っての授業が行われていました。織物クラスの先生が織り上がったばかりの布を広げて見せてくれました。(写真右)柄が伝統的な物かは定かではありませんが、この出来栄えならば「アジアの手織りの布と染織に関する本」に載せても、他の国の物と比べても遜色ないと思われます。 木工クラスでは釘を使わないで家具を作る実習が行われており、ノミ等を使って木材を加工し、組み立てを行っていました。(写真左)。舞踊クラスは生徒数が一番多くて賑やかでした。楽器クラスの生徒と合同でキャンディダンスを踊ってくれましたが、生徒がレオタード姿なので、恥ずかしがるという理由で撮影を禁止されたのが残念です。僕から見れば、キャンディダンスの衣装の方が露出度は高いと思うのですが、所変われば何とやら、ですかね。 織物クラスの先生からキャンディとアヌラダプラ、クルネガラを結ぶ三角地帯に古い手織り布が残っている可能性が高いという話を聞きました。次はそこに行ってみます。考えてみると、この三角地帯はシンハラ王朝遷都の軌跡そのものです。(続く) 僕が見て感じたスリランカ・目次へ TOPへ |
---|