ぼくが見て感じたスリランカ紹介85

                       スリランカ・カレーよもやま話U

      

 前回の最後に、日本で初めてカレーを食べたのは福沢諭吉という説がある、と書きましたが改めて調べたところ、僕の勘違いでした。今回は、ここら辺りから話を進めましょう。

 福沢諭吉は初めてカレーを食べたのではなく、初めてカレーという言葉を日本に紹介した人物でした。1860年(万延元年)に福沢諭吉は日米通商条約批准書交換のための、使節団の一員として咸臨丸に乗り渡米しました。米国滞在中にサンフランシスコの書店で「華英通話」という中国語と英語の辞書に出会い、帰国後この辞書を翻訳して1861年に出版した辞書の中でカレーという言葉を紹介しています。ただし、この辞書の中で、カレーは英文では「Curry」と表記されていますが、なぜかカタカナ表記は「コルリ」と表記されています。この辞書の中にはコルリの他にも英語らしくない発音を表記した言葉が多数あったそうです。福沢諭吉はオランダ語を学んだ後に英語を学んだ為に、オランダ語風の発音になったのではないかと言われていますが、僕にはオランダ語の知識がないので定かではありません。多分、福沢諭吉はカレーとは、どのような調理法なのか、どんな味なのかは訳しただけで判っていなかったと思われます。食べさせてみたかったですね。

 さて、それでは日本で初めてカレーを食べたのは誰かという事に移りましょう。江戸時代には鎖国をしていたにも拘わらず、アジア各国に日本人村があった痕跡があります。16世紀後半にはキリシタン大名達がローマへと送り出した、遣欧少年使節団はインドのゴアを経由港として滞在しています。それ以前から多くの僧侶が中国経由でインドに経典を求めて渡っています。僧侶達の一部はスリランカにも渡っていたかもしれませんね。難破した漁師達が東南アジアやインドやスリランカを含む南アジアに流れ着いていたかもしれません。恐らく、これらの人達の誰かしらは、現地の日常食であったカレーを食べたに違いないと思うのですが、残念ながら記録がありません。

調べてみると、最初にカレーの事を記録した人物は、1863年(文久3年)に遣欧使節としてヨーロッパに向かった三宅秀(ひいず)でした。三宅秀は船上でインド人水夫たちがカレーを食べているのを次のように記録しています。「飯ノ上ニトウガラシ細味ニ致シ、芋ノドロドロノ様ナ物ヲカケ、コレヲ手ニテ掻キマワシテ手ヅカミ食ス。至ツテ汚キモノナリ」三宅秀はそののち東京大学医学部部長になる人です。衛生上の観点から、恐らくは見ただけで食べなかった事と想像できます。

 次に記録を残したのは後に東京大学、京都大学、九州大学総長を務めた物理学者の山川健次郎男爵。明治時代に入った1870年(明治3年)、16歳の時に国費留学生として渡米した際の船上でカレーを見聞していますが、「食べる気になれない食物」と記録しています。カレーだけでなく洋風料理もバターの香りを、変な臭いの料理と称して食べていないので、山川健次郎も見ただけでカレーは食べる事が出来なかったと思われます。

 いよいよ、カレーを食べたと記録されているのは1871年の岩倉具視を特命全権大使とする使節団の記録です。この使節団には、木戸孝允、伊藤博文、大久保利通など後に明治政府を代表する人達が参加しています。この時の旅行記「米欧回覧実記」にはセイロン島での記録として『地ニ稲ヲウエレハ常ニ熟ス、其米ヲ土缶ニテ炊キ、漿汁(しょうじゅう)ヲソソキ、手ニテ撹セ食フ、西洋「ライスカレイ」ノ料理法ノ因テハシマル所ナリ』と記されています。この中で、スリランカ(当時のセイロン島)は米が豊富に獲れる国である事、簡単ではありますがカレーの調理法と食べ方、カレーライスの料理法が始まった国である事が記録されています。米欧回覧実記には明治時代初期の重要な政治課題が中心に書かれているとは思いますが、この使節団に参加した明治政府の重鎮達が、どのような思いで日本では味わえないスパイシーな食べ物を、口に入れ飲み込んだのか、どのような表情をしたのかを想像するだけで愉快な気持ちになりますね。

 色々と調べてみると、明治初期の軍隊では上記の岩倉使節団とほぼ同じ時期にカレーが食されていたようです。1873年当時の陸軍幼年兵学校では毎週土曜日にカレーが食されていたと記録されています。はて、陸軍とは違って当時の海軍から連綿とつながる伝統として、海上自衛隊では土曜日ではなく金曜日の昼食は現在でも艦長以下全員がカレーを食べています。明治時代の陸軍はドイツ陸軍の指導を受け、海軍はイギリス海軍の指導を受けていたためでしょうか? 何だか話が大きくなってきたので、陸軍と海軍の伝統の違いはここで止めてカレーに焦点を戻しましょう。明治時代初期には、イギリスがインド・セイロンを植民地としていました。駐留するイギリス海軍では食事の材料に現地で産する食材、調理法を取り入れていましたので、カレーもメニューの一つだったのでしょう。このことが、日本海軍の食事に影響を与えていたと考えられます。

 毎度の事ですが、セイロン・カレーから話が脱線してしまいました。次回はカレーの語源などを書きたいと思います。

■参考文献
水野仁輔:カレーライスの謎(角川SSC新書), 2008.
小菅佳子:カレーライスの誕生(講談社学術文庫), 2013



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