中国で一番美しい村丹巴訪問の旅
写真で綴る旅日記 1
写真撮影:越後雅子 河本義宣 為我井輝忠 早坂優子

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2017年2月6日(月) 成都で
和光大学卒業の陳佳(今は結婚されて岳田佳)さんのお母さんの王玲さんのご招待で四川料理を堪能。成都春熙路の四川料理レストラン「柴門飯児」にて 王玲さん(左端) 岳田佳さん(左から3人目)と子ども達 (撮影:為我井輝忠) 食後、レストラン目の前の大慈寺見学。この寺は3、4世紀頃に創建され、三蔵玄奘が受戒した寺だそうだ。岳田佳さんの子ども、恵佳ちゃん(左)と真依ちゃんが境内に置かれた小坊主の像に興味深々だった。
(撮影:越後雅子)
成都最大の道教寺院・青羊宮の入り口
青羊宮の名は、老子が青い羊に乗ってここで教えを説いたことによるそうだ。
(撮影:河本義宣)
八卦亭
下部は四角形、中部は八角形、上部は丸形の三層。亭の内外に全部で81匹の龍が彫られている。(撮影:河本義宣)
八卦亭の中の老子像は青い羊に跨る
(撮影:河本義宣)
三清殿(対極殿)に祭られている道教の神様たち 玉清元始天尊(真ん中)、上清霊宝天尊(左)、太清道徳天尊(右))
(撮影:河本義宣)
三清殿入り口の左右に羊の左側の羊が座している。左の羊は、十二支の動物の特徴を寄せ集めたもので、鼠の耳、牛の鼻、虎の爪、兎の背、龍の角、蛇の尾、馬の口、羊のひげ、猿の首、鶏の眼、犬の腹、猪の尻を合わせ持つそうだ。なでると霊験があるそうでてかてかに光っていた。
(撮影:左の羊 越後雅子 右の羊 河本義宣)
2017年2月7日(火) 成都から丹巴へ
民宿に行く途中、道路脇にテラスのように張り出したスペースで民族衣装の女性たちが結婚披露パーティをしていた        
(撮影:越後雅子)
丹巴甲居村の民宿「阿妹蔵家客站」の入り口。急な石段の階段を10段ほど上った上に入り口がある
(撮影:為我井輝忠)
民宿のそれぞれの部屋は透明な屋根つきの中庭に面している (撮影:早坂優子) 宿のオーナー更登格西(ゲテンゲシー)さんと宿の切り盛りをする息子さん夫婦 
(撮影:越後雅子)
盛装した更登格西(ゲテンゲシー)さんはなかなか風格。今年、喜寿で、今回参加の三人も同い年で、長寿を祝って固い握手をした
(撮影:河本義宣)
朝夕の食事には、心づくしのこの地方の料理がテーブル狭しと並んだ。手作りの腸詰がなかなかの美味である
(左写真撮影:越後雅子  右写真撮影:早坂優子)
2017年2月8日(水) 丹巴県巴底郷?山(チョンサン)村の巴底官寨跡と丹巴県中路郷古石?楼を見学
丹巴県巴底郷?山(チョンサン)村の巴底官寨跡前の廟の入り口と壁に描かれた女神の壁画
(写真撮影:越後雅子)
丹巴県巴底郷?山(チョンサン)村の巴底官寨跡 (写真撮影:早坂優子)
巴底官寨跡を丘の上から見下ろす
この城の主が治めたであろう村が官寨の後ろに白く陽の中で光る(撮影:越後雅子)
若者たちが村に戻って来る春節は、丹巴の結婚シーズンだそうで、巴底官塞跡を見学して外へでると、丁度、近くで結婚式の披露宴を開催していた。写真左端:大川健三さん 右端:大川さんの甥(奥さんのお姉さんの息子)の丹華さん。現在、大学観光科在学で将来は行政の観光に関わる仕事をする予定だそうだ。今回の旅では大変世話になった(撮影:越後雅子) 披露宴のクライマックス。花嫁・花婿と両脇の付き添いの若者は、来客から祝福のハダ(白い布)が次々に掛けられる
(撮影:越後雅子)
まだ初々しい花婿(左)と付添いの若者
(撮影:河本義宣)
丹巴は(石+周)楼(チョウロウ)と呼ばれる塔で知られて、この塔のような塔がいたるところで見られる
(撮影:越後雅子)
(石+周)楼を上ってみた。木組みに石を組み込んで建てられ、層と層は、太めの丸太に深い切り込みを入れただけの階段で繋がっている。窓も各層にはなく、中は何もなくて薄暗い。塔は9層とのことだが上っても上ってもという感じだった。それだけに上りきった達成感は格別だった
(撮影:越後雅子)
塔の最上部は、6畳ほどの屋上で、四隅に三角の牙のような魔除けが立てられていた。村の建物が足下にみえ眺望絶佳だった
(撮影:河本義宣)
塔の屋上での記念撮影
皆、達成感で大満足、ご機嫌の一枚
(撮影:河本義宣)
左写真:畑仕事をする人々の後ろにも(石+周)楼がいくつも聳えている

(撮影:越後雅子)
【大川さんの説明】
女神の壁画
ギャロンで『ムルウィ』と呼ぶ土地神で、右手に生命を奪う矢を、左手に宝鏡を持ち、ヤクに乗る。これと対になる女神が近くのボン教の寺に有り、この方は、右手に宝鏡を、左手に生命を与える薬の瓶を持ち、ヤクに乗る。シャンシュン由来の女神で、本来は、生命を司る湖の女王で、右手に生命を奪う矢を、左手に生命を与える薬の瓶を持ってヤクに乗るが、何故か当地では異なる姿で描かれている。チベット仏教が盛んになるにしたがってこの女神は廃れ、ボン教が強く残る地域でだけ土地神として細々と伝承されている

巴底官寨跡
この城の主が治めたであろう村が官寨の後ろに白く陽の中で光る(撮影:越後雅子)
「13世紀にモンゴル軍が攻め込んだ時、モンゴルの将軍の1人とギャロンの金川地方の大領主の妹が結婚。領地を分譲し成立した公国の領主の館跡といわれているが、領主編纂による記録では、領主はシャンシュン(注)方面からやって来た王子とされている。館跡に有った9層の石積みの塔はチベット古代建築に共通し、随書の女国や唐書の東女国に同じ造りの「女王の館」が記録されている」とのことだ。

(石+周)楼(チョウロウ)について
「現地では、古(石+周)(コチョウ)と呼ばれ、2000年代に入ってから幾つかの塔が年代測定され、測定された範囲では数百年〜千数百年前に建てられている。約2000年前にギャロンチベット族の祖先がシャンシュンから移民した時に通った東チベットに同じような搭が残っていて、年代測定した搭の中には1800年位前に建てられた塔がある」とのことだ