アフリカとの出会い27 「西ケニア・キムスへの旅」
   

竹田悦子 アフリカンコネクション

 ナイロビから西に向かってウガンダとの国境近くの地域を「西ケニア」と呼ぶ。車で7〜8時間、飛行機で2時間弱、国内旅行とは思えないほどの移動時間の長さだ。

 当時手伝いをしていたJICA専門家の仕事で、たくさんのセメントや建築資材をナイロビから西ケニアのキスムまでトラックで運ぶことになった。

 4トントラックに荷物を乗せ、ナイロビを朝10時頃出発。運転手と専門家の助手をしているアレンゴさんと、3人で一路キスムを目指した。ナイロビから陸路で移動してみるとケニアのいろんな景色が楽しめる。国立公園、紅茶畑、湖、大地溝帯といろいろな表情をケニアは持っていることが改めて分かった。

ナイロビでは、52民族が入り混じっているが、ナイロビを離れるとそれぞれの民族固有の村々が存在している。農耕民族、狩猟民族など生活の違いも見える。どんどん走って行くと車の数がぐっと少なくなる。途中、村々に着くと、すごい勢いで人が車を取り囲んでくる。

 「とれたてのジャガイモだよ」

 「工場から直送の紅茶だよ」

 「手作りの民芸品だよ」

 と土地それぞれの特産物を勧める。

運転手と助手は買いたいものがあると、「エツコ、隠れてて」と言う。私がいると外国人値段になってしまうらしい。例えば、バケツ一杯のジャガイモが600円の相場だとすると、私がいるだけで、1000円になるらしい。しかも、私が買うと言い出した時は、1500円位になる。それにしてもバケツ一杯でその値段だ。私にしてみたら安い。しかし、現地の物価を考えるとそれでは高いということになる。

 子供が近づいてきては、「muzungu、habari?」と言ってくる。Muzunguとは、白人とか外国人とかいう意味で、habariは元気ですかという意味だ。外国人が珍しい彼らは、よく握手を求めてくる。有名でもないのに、何十人に握手を求められると不思議な気分になる。

 車窓越しに見るたくさんの美しい景色。中でも、ナイロビから2時間くらいの「大地溝帯」の迫力と美しさは息を呑んだ。その昔、大陸がそれぞれに離れて行くときの衝撃で大地が裂けたとされる「大地溝帯」が自分の眼下に広がっている。その大きさ。広さ。圧倒的な存在感。そのすぐそばを時速100km以上で走って行く車。怖い〜。

 次はkerichoというケニアでも有数の紅茶の産地。日本でいうと静岡みたいなところである。特徴的なのは、今でもイギリスの農園所有者が経営しているところが多いことだ。ケニア人を雇って、広い農場を経営している。もちろん、日本でも有名なLiptonもここに農場を持っている。紅茶畑の広大な眺め、きらきら光る太陽、優しい風、その昔ここに移り住んだイギリス人入植者の気持ちはよく分かる。景色も、気候も最高だった。とある農場が経営するTEA FARMに入ってお茶を飲んでみた。ロンドンなどで体験するティーセレモニーも出来るのだ。お客さんはヨーロッパからの観光客がほとんどで、きれいな器に入った紅茶を啜っている。全くケニアではないみたいな雰囲気だ。美しい音楽が流れ、会話も弾み、優雅な時が流れていた。植民地だった頃の名残というよりも今だに続いている農園での植民地主義なのかもしれない。

 夕方、西ケニアの中心地キスムに到着する。まずは、今夜の宿さがし。なるべく安いところを探して、一泊1500円位のところを発見した。食堂、ディスコが併設された、まず外国人向けではなさそうな感じの所だ。しかし、私はナイロビに帰ってからここに泊まったことを後悔する。理由はそこでもらったお土産が原因だ。

 キスムは、ビクトリア湖という湖を望む湖畔の町。ルオー族という民族の本拠地である。言葉もルオー語。市場を覘くと魚をよく食べる民族であることが分かる。そして暑い。熱帯特有の暑さである。ビクトリア湖で獲れる代表的な魚ナイルパーチ(すずき)は空揚げにして、トマトのスープと一緒に、トウモロコシを練ったウガリという主食で食べる。とってもおいしかった。その夜は湖畔やマーケットをうろうろし、ホテルへ戻った。ホテルの窓がキチンと閉まらないことが気にはなったが、長旅の疲れて熟睡した。

 次の日の朝から2,3日かけて、セメントなどをプロジェクト地へ届ける。無事終えて帰路につく。空っぽになったトラックの荷台。来た道を戻る。沿道からよく手が挙がる。「荷物をナイロビまで運んで下さい」という合図なのだ。野菜、ヤギ、紅茶、豆などなど。そして夕闇が迫る頃、ナイロビのとあるマーケットに到着。明日の朝市には十分間に合う。こうして運転手は、荷物を運んだ帰りにはちょっとしたおこずかいを手に入れ、そのお金で焼肉とビールをおごってくれた。

 そしてちょうど一週間後、私はマラリヤに罹った。潜伏期間1週間を経て、熱さと寒さが同時に来るという生まれて初めての病気になった。その時に飲んだ薬で一時的に耳も聞こえなくなった。幸い3,4日で回復したが、とんでもないお土産だった。自己管理の甘さとしかいいようがない。以来、日本の蚊取り線香、蚊帳は旅のお供として持っていく。

 ルオー族の運転手に「マラリヤになったよ」と報告すると、「僕らにとっては風邪みたいなものだからね。そんなのニュースじゃないよ。」と笑っていた。

 ルオー族以外のケニア人は、西ケニアに行くときはマラリヤには気をつけるようにしているとのことである。



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