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  媛媛講故事―37

                           
怪異シリーズ 7
                                   
                         
牡丹燈記            何媛媛

   元代(1206〜1368年)の末頃、正月の元霄節(十五夜)では、毎年、明州(浙江省鄞県)では五日間にわたって灯籠祭を行っていました。その夜になると、町の老若男女は皆町に出かけて、祭を思う存分見物するのが習わしでした。

 至正二十年(1360年)、鎭明嶺(浙江省宁波)の麓に喬という書生が住んでいました。喬書生は妻が亡くなったばかりでしたので祭の賑わいを楽しむ気持ちになれず、ただ自分の家の門に寄りかかって佇んでいました。十五夜の三更(午後11時〜午前1時)も過ぎ、町には人の気配が少なくなってきました。とその時、召使らしい女の子が牡丹二つを飾った提灯で足元を照らすようにして前に歩き、後ろには、赤い袴の上に緑色の上着を纏った、歳の頃17、8歳かと思われる楚々とした風情の娘が玄関の前を西の方角に向かってゆっくりと歩いて行きました。

 月の光を受けた娘の顔は絶世の美さで、喬書生はすぐ魂を奪われて、知らず知らずにその女性に付いて歩き出していました。時には前に、時には後ろになりながら何十歩か歩いたところで、女性は突然振り向いてにっこりと笑って口を開きました。

 「約束をしたわけではありませんのに、この美しい月の下で巡り会うなんて何かご縁があるのでしょうか」

 喬書生は女性の言葉を聞くとすぐ女性の前へ出て丁寧に挨拶をしてから答えました。

 「拙宅はすぐ近くにあるのです。よろしかったらお寄りになられませんか?」

 その女性はその誘いを躊躇うことなく素直に受けて、自分の前を歩いていた召使を呼びました。

 「金蓮、お誘い頂いたのですから一緒に行きましょう」

 金蓮という女の子は少し先を行ってましたが女性の声で戻ってくると二人と一緒に元の道を戻りました。喬書生は女の手を取って家に戻ると、二人は色々話し合いました。

 「お名前はなんとおっしゃるのですか?どこに住んでいらっしゃるのですか?」

 と喬書生は訊きました。

 「私、姓は符、名は漱芳、字は麗卿というのです。父は奉化州(浙江省奉化)検査補佐官でしたが、亡くなりました。今は家業も衰退してしまいました。親戚もおりませんし、兄弟もおりませんので、召使の金蓮と二人で湖の西にある貸屋に住んでおります」

 と女は答えました。

 二人は話すほどに親しさを増し、その女性と一緒にいる喬書生の歓びは、巫山、洛水(注)の女神に巡り会うことにも勝る歓びに感じました。

 話し込んでいる間に、時間は容赦なく過ぎてすっかり夜が更けました。

「今晩はもう遅いですから、ここで泊まってゆかれてはどうですか」

 と喬書生が勧めますと、女性はそのまま泊まることになりました。女性の立ち居振る舞いは気品に溢れ、あでやかで艶めかしく、喬書生は欲情を抑えられなくなり二人は枕を交わしました。翌朝、女性は別れを告げ帰りましたが、夜になると、再びやって来て、二人は愛情の限りを尽くしました。そして女が夜訪ねて来て朝は帰るというようになって半月ぐらいが過ぎました。

 ところで、喬書生の隣に一人の老人が住んでいました。老人はなんとなく隣の様子がおかしいと感じ、夜壁に穴を開けて覗いてみますと、老人の目に映ったのはなんと、ほのかな灯の下で喬書生が鮮やかな衣装を纏った髑髏を抱いている姿でした。翌日、老人は喬書生に毎晩訪ねてくる女性が何者かと問い詰めましたが、喬書生はあれこれと言葉を濁して話そうとしません。老人は喬書生に告げました。

 「君は今大変な禍に巻き込まれているのだ。いいか、よく聞きなさい。君は今陰界の妖怪と付き合っていることに気付かずに枕を共にしているのだ。君の体の精気が消耗し尽くしたら、まだこんなに若いというのに命を落として黄泉の客となるのだ。なんて悲しいことだ!」

 喬書生は吃驚仰天して、とうとう全部を白状しました。 老人は、

 「その女が湖の西に住んでいると言うのなら、自分で行ってみれば何か分るかもしれない」

 と提案しました。

 喬書生は老人に言われた通り、すぐ湖の西に行って、長い堤の上や、橋の下を行きつ戻りつその女性の住んでいる家を探しました。どうしても見つからずその辺りに住んでいる人たちにも訊ねましたが、誰もその女性の姿を見かけたことがないという答が戻ってきました。

 夕暮れになって、疲れた喬書生は少し休みたいと思い、近くにあった湖心寺というお寺に入って行きました。お寺の中をぶらぶら歩いていますと西の廊下の突き当たりに、暗い部屋があり、中へ入って見ると、柩が置かれていました。さらに近寄ってみますと柩の上に白い張り紙あり、牡丹の模様の提灯が下げられてその下に、人形が一体立っています。

 昔は、旅先で思いがけなく亡くなった時など、柩を一時お寺に預けることが良くありました。喬書生はこの柩はどういう人のものかと思い傍に寄って張り紙を読んでみますと、なんと張り紙には「故奉化府検査補佐官之女麗郷之柩」と書かれてありました。喬書生は驚いて、さらに目を凝らすと牡丹模様の提灯の下に置かれた紙人形の背中には「金蓮」と書いてあります。

 喬書生は恐怖に打ちのめされ、寺から必死で逃げ出しました。そしてその晩、喬書生は隣の老人の家で泊まり恐ろしさにどうしてよいか分かりませんでした。老人は次のように勧めました。

 「玄妙寺の魏法師は寺の故元祖王真人の弟子で、法師が書く、鬼を駆除する護符は天下一だそうだ。早く求めに行きなさい」

 翌朝、夜が明けると迷わず喬書生は魏法師に面会に行きました。魏法師は喬書生の顔を見るや訊ねました。

 「あなたには酷い妖気を感じる。一体どうしたというのですか?」

 喬書生は自分が遭遇していることを包み隠さず話しました。魏法師は喬書生が話すのを聞くと、朱筆で書いた二枚の護符を彼に手渡しながら言いました。

 「この一枚は玄関に置く、一枚は寝床に置くとよい。今後湖心寺へは絶対行ってはいけない」

 喬書生は家に戻ると、護符を魏法師に言われた場所に置きました。果たして、その女性は来なくなりました。

 一ヶ月ほど経った或る日、喬書生は湖心寺の近くに住んでいる知人のところを訪ねました。久しぶりでしたので知人に勧められるまま酒を飲みかわしているうちにすっかり酔ってしまいました。「湖心寺に近寄ってはいけない」と言った魏法師の忠告もすっかり忘れてしまった喬書生は、家への帰り道を湖心寺のある道を通りました。間もなく湖心寺の玄関というあたりに来たところで、突然金蓮がそこで立っているのが見えました。

 金蓮は「喬書生はなんて薄情な人でしょう。お嬢さんはいつも待っていらっしゃるのに…」と言いながら、喬書生の手を無理矢理に引いて西廊の暗い部屋に入りました。なんと、麗郷という例の娘がそこに座っているではありませんか。
 「私はあなた様と顔見知りではありませんでしたが、たまたま灯籠祭の帰り道であなた様に出会い、あなた様の愛情を頂くようになりました。そして私は夜毎にあなた様のもとに通い、身も心もすべで捧げました。しかしながらあなた様はあの法師の話を信じ、私を疑うようになられて私との縁を断ち切ろうとなされました。人の言うことをこんなにやすやすと信じてしまわれる情けないあなた様を私は深く恨みに思います。幸いにも今日再びお会いすることができましたからには、私はもう決してあなた様を放しません」

 娘はそう言いながら、喬書生の手を取り柩の前に進みました。柩の蓋はひとりでに開き、喬書生は娘に抱かれたまま共に柩の中へ滑り込むと蓋は忽ち閉まってしまい、喬書生はそのまま柩の中で世を去りました。

 ところで、隣に住む老人は喬書生がなかなか帰って来ないので、不思議に思い喬書生が行きそうなところをあちこち探し、最後に湖心寺の西の奥の暗い部屋に行きますと、柩の蓋の隙間に喬書生の服の裾が挟まれてあるのが見えました。老人が湖心寺の住職に頼み、柩を開けて貰いますと、柩の中に喬書生と件の女性が上下に重なって抱き合い共に息絶えていました。喬書生の方は息絶えてからの時間の経過を感じられる姿でしたが、不思議なことに娘は依然として奇麗な顔のままでまるで生きているかのようでした。

 「この娘さんは奉化州検査補佐官の娘で、十七歳で亡くなり、暫く柩をここで預かることにしたが、一家は北へ引っ越して消息が絶え、もう十二年になります。この娘さんがそのような悪さをしていたとは思いもよらないことです」。 湖心寺の住職はこのように述べ、二人の遺体を城の西門の外に埋葬しました。

 その後、怖ろしいことがこのあたりで起こり始めました。 黒い雲に覆われた昼や、月のない闇夜、召使の女性が牡丹灯籠を下げて先を歩き、喬書生と娘が手を繋いで其の後を歩いているのを人々は折々に見かけるようになりました。そして更に怖ろしいことに、彼らの姿を目撃した人は、よほど功徳を積んだ人でない限り、悪寒に震えて熱を出し、その後重い病に伏せるようになって命を失うというようなことが度重なりました。

 人々は怖ろしく思い、玄妙寺へ行き魏法師になんとかしてほしいと訴えました。しかし魏法師は

 「わしの護符は何も起こっていない時なら効果があるが、祟りが始まっている今になってはもうわしの護符の力では及ぶまい。四明山の頂上に鉄冠道人という、悪鬼を払い妖怪を鎮める法術を持った道士が住んでいると聞いている。みなさんは四明山の鉄冠道人に話を聞いてもらうがよい」

 と人々に勧めました。

 そこで、人々は四明山へ向かいました。山道は極めて険しく、藤づるをよじ上り、谷を渡り、ようようにして頂上に辿り着きますと草庵があり、道士の姿をした人が机に寄りかかって座っていました。人々は道士を拝礼し、苦労をしてここまで訪ねてきたわけを話しました。

 鉄冠道人は話を聞くと言いました。

 「私は随分長く山の奥に隠棲はしているが特別の力など持ち合わせていない。明日の命も知れぬ普通の人間じゃ」 と人々の訴えを固辞しました。しかし人々が

 「わたしたちも鉄冠道士さまのことを存じ上げておりませんでしたが、玄妙寺の魏法師の勧めでお訪ねいたしました」
 と答えますと、鉄冠道士は納得した様子で、

 「わしはもう六十年も山を降りたことがない。玄妙観の魏法師は余計なことを言ってくれたものじゃ。面倒なことだが魏法師の勧めとあれば行かないわけにもゆくまい」

 と応じてくれました。

 鉄冠道士は、傍らで鶴の面倒を見ていた童子に声を掛け、人々と共に山を下り始めました。鉄冠道士の足は驚くほど軽くて早く、あっという間もなく西門の外に着きました。そこに大きな壇を作ると鉄冠道人は壇上に背筋を伸ばして座り、護符を書きそれを焼きました。

 するとまもなく目前に、身の丈一丈あまり、黄色い頭巾を冠り、絹の上着を着、金の鎧を身に付け、彫刻の施した戈を持った沢山の武将たちが現れました。武将たちは壇の下で恭しく腰を屈めて命令が下されるのを待っているといった様子です。

 鉄冠道人は話し始めました。
 「近頃、この地に‘あやかし’が現れ世間を騒がせている。急いでその‘あやかし’を祓わなければならない」
 間もなく、娘、喬書生、金蓮三人が首枷を掛けられた姿で壇の下に連れて来られました。三人は直ちに、武将たちに鞭で叩かれて、血まみれになりました。鉄冠道人はさらに厳しく責めた後、紙を与えて、それぞれ自分の罪状を書かせました。三人は次のような百文字ぐらいの供述文を書きました。

 喬書生は

 「私は妻を亡くして寂しさに耐えられず、玄関に一人で立っていると、この娘が通りかかり、あまりの美しさに心奪われて色戒を犯してしまいました。‘あやかし’の判別も出来ずに惑わされてしまい、今は深く後悔しています」

 麗郷という娘は

 「私は若くて世を去り話し相手もなく、寂しさに耐えられず魂が身を離れました。月の夜に五百年の宿縁を持つと思われる方に巡り会い、一緒に時を過ごすことは深い喜びでした。しかしながら世間を騒がせることになった罪は逃れようもないことです」

 金蓮は

 「私は竹で体を作られ、絹の衣装を身に纏ってお嬢様のもとに置かれました。誰がいつ作ったのかも分りませんが、金蓮という名前が与えられると魂も宿り、お嬢様の手伝いをしてきました。しかしそれが‘あやかし’の仕業になるとは思いませんでした」

 三人が書いたものを読み上げると下役はそれらを纏めて鉄冠道士に呈上しました。鉄冠道士はそれを受け取ると大きな筆を取り、次の判決文を書きました。


 「生きている時に善悪を悟れなかった喬書生は、早逝しても惜しくはない。符家の娘は死んでいるにも拘らず淫を貪るとは生きていた時も有徳の女性ではないと察す。金蓮は‘あやかし’を助けて世間を惑わして人の道を犯した。三人とも罪が深く許すことは叶うまい。人々の平安のため、即刻、牡丹灯籠は焼いて、三人は地獄へ連れて行こう」

 判決が下されると、武将たちは泣きながら抵抗する三人を無理やり引き立てて行きました。

 鉄冠道士は事件がすべて解決したと安心して山へ帰りました。

 その翌日、人々は鉄冠道士に感謝の意を表したいと山を登りました。しかし、草庵はあるものの、鉄冠道士の姿はどこにもありませんでした。魏法師に訊ねたら分かるかと玄妙観へ行きましたが、魏法師はすでに聾唖者となってなにも話せなくなっていました。(終わり)


【注】
 巫山は、戦国時代楚国の詩人である屈原の名作「神女賦」 に出る山であり、洛水は、三国時代の曹操の息子である 曹植の名作 「洛神賦」に出る川。いずれも女神が住む 名所と言われる。


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