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  媛媛講故事―32

                               
怪異シリーズ 1
                                   
                          
干将・莫邪の剣            何媛媛

 今から2500年前の、中国は戦国時代の物語です。

 呉の国に、夫は干将、妻は莫邪という有名な夫婦がいました。干将は剣を作るたいそう名高い職人で、ある時、隣の国の楚国の王の命令で剣を作ることになりました。三年の月日を掛けて、やっと雄と雌の二ふりの剣を作りました。

 それは素晴らしい剣で、世間の人々を魅了する絶品でした。剣を作り上げて、いよいよ楚王の前に出ることになり、干将は身ごもっている妻に言いました。

 「剣はできたが、仕上げるまでに時間が思っていた以上に掛かってしまった。王は待ちくたびれて怒っているに違いない。私はきっと殺されるに違いない。君がもし男の子を生んだら、その子が大きくなったら『家を出て、南に進んだ山に松が一本生えている。その松の裏に私が作った雄剣が隠されている』と伝えて欲しい」。

 干将は、雌の剣を持つと楚王に会いに行きました。剣は本当に天下に二つとない見事な鋭い剣でしたが、王の傍にいた剣の鑑定士が、干将が作った剣は雄と雌二ふりあるはず、持って来たのは雌だけだと王に告げました。鑑定士の言葉を聞いた王はたいへん怒り、怒りにまかせて干将を殺しました。

 後日、妻の莫邪は男の子を産み、その子は赤と名づけられましたが、普通の子と比べて眉毛の間が非常に離れていたので、人々から「眉間尺」と呼ばれました。

 眉間尺は大きくなり、自分に父親がいないことを不思議に思い、母に「父はどこにいるのだ」と訊ねました、母親は「父は王の依頼で剣を作り、三年掛けてやっと出来上がったが、時間が掛かりすぎて王の機嫌を損ね、王によって殺されました。父は、王に剣を届けに行く時、『家を出て、南に進んだ山に松が一本生えている。その松の裏に父が作った剣が隠されている』とあなたに伝えるよう私に言って家を出ました」と、当時のことを思い出しながら一部始終を息子に語りました。

 眉間尺は父が言い遺した話の通り、家のドアを開け、南に山は見えないが、高い建物があり、一本の松の木が高台の上に聳えているのが見えました。「そこに違いない」と確信した眉間尺は、松の下に辿り着くと斧を持ち、松の裏を掘り始めました。しばらくすると、果たして一ふりの見事な剣が現れ出ました。その日から、眉間尺は朝から晩まで父の復讐を遂げることばかり考えました。

 楚王はその頃、毎夜のように夢の中に眉毛が離れた少年が現れては、自分に向かって「復讐するぞ」と言っては襲ってきて気持ちが落ち着きませんでした。王は部下に命じ、夢の中の少年の姿を紙に描いて至る所に貼り、少年の首に千金を懸けました。

 眉間尺は身の危険を感じ、山に逃げ込みました。父の仇にまだ報いていないと思うと、眉間尺は益々辛い気持ちになり、歩きながら泣き、また知らず知らず悲しい歌が唇にのぼってくるのでした。と、一人の男が現れました。「お前はまだ若いのに、どうしてそんなに悲しんでいるのか」と訊きました。

 「私は干将の息子だ。父は楚王に依頼されて剣を打ったが、長い時間が掛かったことを咎められて殺された。父の仇討ちをしたいがどうすれば良いかわからない」

 と眉間尺が答えますと、男は

 「王は千金で君の首を買うと言っている。私を信じることができるなら、君の首と剣を私にくれるといい。君のため私が君の父の仇を討って上げよう」

 と言いました。

 「それは願ってもないことだ」

 と眉間尺は言うが否や、自らの首を切り落とし、男に向かって両手で首と剣を高く差し出しました。しかし、その体は倒れもせず固く立ったままだったということです。

 「安心したまえ。私は君の願いをきっと果たそう」

  男が眉間尺に約束すると、眉間尺の体は安堵したようにどおっと倒れました。

 男は、眉間尺の首を持って都に行き、楚王に会いたいと伝えました。王は、夢の中に現れた少年の首が打ち取られたとの知らせを聞いて喜びすぐ男を招き入れました。

 男は王の前に出ると

 「これが其の少年の首だ。しかし、鍋で煮なければ災いの種を残してしまうかもしれぬ」

と言いました。

 王は男の話を信じて、男が言う通り大きな鍋で少年の首を入れ煮始めましたが、三日三晩煮続けても少年の首は全く煮崩れません。それどころか、頭は何回も鍋から飛び出して、大きな目を見開いて、激しい憤怒の表情を見せるのでし。

 「どうしたのか」 

  楚王はその不思議を聞き、そんなことがあり得るのかと驚いて男に訊ねました。男は

 「この子の頭は異常に堅い。王が自ら鍋に近づいて見守っていた方が良いと思う。王の威厳を見せれば、煮崩れるに違いない」

 と言いました。

 楚王は鍋に近づくと首をぐっと延ばして鍋の中を覗いた瞬間、男は素早く剣を高く上げ、一瞬の内に楚王の首を鍋の中に切り落としてしまいました。兵士達は慌てて男を捉えようとしましたが、男も剣で自分の首を鍋に切り落としてしまいました。鍋に浮かんだ三つの首は見る見るうちに煮崩れてしまい、どれが誰の頭なのか見極められなくなってしまいました。

 その後、人々は鍋の中の頭蓋骨を集め、一つのお墓に合祀し、いつからか「三王墓」と呼ばれるようになりました。

 干将、莫邪と呼ばれるようになった二ふりの剣は、その後の戦乱の中で行方が分からなくなりました。また、其の作り方も謎のままでした。

 ごく最近になって、其の二ふりの絶世の名剣をもう一度人々に見せる為、物語の発生地・蘇州で、青銅器製造に詳しい職人たちが、様々な史料を研究し、繰り返し作り直して、ついに干将・莫邪の剣を作り上げ、去年の上海万博の会期中、蘇州館に出品され展覧されたそうです。


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