'



  媛媛講故事―33

                               
怪異シリーズ 2
                                   
                               
杜子春Ⅰ            何媛媛

 杜子春は、中国の北周~隋(557〜581)の時代に実在した人物だといわれています。

 彼は富裕な家に生まれ育ちました。志は高かったのですが、自由奔放な性格の持ち主で、成長しても家に落ち着いて家業に精を出すことはなく遊蕩三昧の日々を送っていました。其の結果、父から受け継いだ財産を使い果たし寝食にも困るようになりました。親戚からも、「杜子春は、まともな事をしないやつだ」と軽蔑され、落ちぶれた後は全く顧みられないありさまでした。

 ある冬の日の夕方、ぼろぼろの服をまとった杜子春は、一日中、食べ物を口にできないまま、長安1)の街を東から西へとふらふら歩いて城門のところにやって来ました。間もなく日が暮れようというのに、食事をさせて貰えるところも、泊めて貰えそうなところもなく、彼は城壁に寄りかかると世の中の無情を恨み、悲嘆にくれるばかりでした。

 其の時、杖を手にした老人が彼の前に現れ、「どうしてそんなに嘆いているのか」と話し掛けてくれました。杜子春は自分が置かれている状況を詳しく話し、彼が金持ちだった時はちやほやしてくれていた親戚や友達は、お金が無くなった途端に態度が冷たくなり誰も相手にしてくれなくなってしまったことを伝えました。

 杜子春の話を聞いた、老人は杜子春に訊ねました。

 「お金はどのぐらい欲しいのか」

 杜子春は、

 「今夜、食べて眠る場所を見つけられる程度でもあればどんなに有難いだろう」

 と答えました。老人は、

 「明日どうするのだ?それでは十分ではない筈だ。遠慮せずに言いなさい」

 「では、ひと月くらい生活できれば…」

 「ひと月はすぐ経ってしまう。もっと必要なはずだ」

 「では、何とか三ヶ月くらい生活できれば…」

 「いや、それだけではまだまだ足りないだろう。じゃが、今晩はこれだけしか持ち合わせていない。明日の昼頃、西の市のペルシャ人の屋敷に来るがいい。お前が身を立て直すだけのお金を用意してわしはお前を待っていよう」

 老人はそう言うと姿を消しました。

 翌日、杜子春は老人が言った通り約束の場所へ行ってみますと、老人は本当にそこで待っており、約束通り真面目に生活すれば身を立て直すに十分過ぎるほどのお金を用意していてくれました。杜子春は感激し、感謝の言葉を言おうと思いましたが、その間もなく、名前も名乗らず老人は立ち去ってしまいました。

 杜子春は、最初の内こそ一生懸命、真面目に働き、質素に生活していましたが、そのうちだんだんに気が緩み、また昔の気ままで放縦な生活を送るようになって行きました。お金は一生楽に生きてゆけるほどありそうに思えました。良い馬に乗り、豪華な服を羽織り、お酒の飲み仲間を募っては、楽師を呼んで演奏させたり、妓楼を遊び回って、生計を顧みなくなりました。

 そうして一年経ち、二年経ちしてゆく内に、老人から貰ったお金はどんどん減って行き、馬を驢馬に、刺繍の服は普通の布の服に変えて行きました。そして結局はまた、二年前と全く同じような有様になってしまいました。

 その日の寝食にも困るようになった杜子春は、再び町の城門に寄りかかって天に向かってため息をつきました。と、その時、以前の老人がまた目の前に現れました。

 老人は杜子春の手を握って、

 「なんということだ。あなたがまたこんなふうになってしまうとはいったいどうしたことなのだね」

 と訊ねました。

 しかし、杜子春は初めてこの老人に出会った時となんら変わらない状態になってしまったことを恥ずかしく思うばかりで一言も言葉が出ませんでした。

 老人はそんな杜子春を見て、

 「大丈夫、責めないから安心して話してごらん」

 と更に重ねて訊ねました。

 杜子春は恥ずかしく思い、ただひたすら「申し訳ない」というばかりでした。老人は「よろしい。では、わしがもう一度助けてあげよう。では、明日の正午にこの前と同じ場所に来なさい」と言い残して立ち去りました。

 杜子春は翌日、恥ずかしく思う気持ちを無理に押し込んで、同じところに向かいました。老人が用意しておいてくれた金額は以前にも増した多額のお金でした。

 杜子春は「よし、これからはきっと心を入れ替えて真面目に生きよう!商売も一生懸命して、昔の、あの有名な大富豪である石季倫、猗頓よりも大金持ちになってみせよう」と強く自分の心に誓いました。

 しかし、お金を手にした杜子春は、自分に強く誓ったことをすっかり忘れ、また、これまでに得た教訓もすっかり忘れてしまい、再び気ままで放縦な生活に戻り、かつてのような贅沢三昧の生活ぶりに戻ってしまいました。

 このようにして、再び二年が経過しました。杜子春は初めて老人に出会った時と同様の貧乏人になってしまっていたのでした。そしてまた、以前と同じところで、同じ老人に会い、杜子春は恥ずかしさから、顔を隠して逃げようとしました。しかし、老人に衣服の裾をつかまれ引き止められてしまいました。

 老人は呆れ顔で、

 「本当に情けないひとだ」

 と言うと、又、懐から以前の何倍かのお金を出して

 「これを持って行きなさい。このお金ででたらめな生活を立て直さないと生涯、貧乏から抜け出すことはできないぞ」
 と告げました。杜子春は、

 「私はどうしようもない人間だ。富裕な家に生まれて何一つ不自由なく育ったが、遊び呆けてばかりだった。お金が全く無くなってしまった時、私は金持ちの親戚や友達から嫌われさげすまれ、誰も救いの手を差し伸べてはくれなかった。そんな私をあなた様だけが三度目も助けて下さるとおっしゃる。私はこれから先、あなた様に何を以て恩返しすればいいのでしょうか」

 杜子春は深く考えました。そして老人に言いました。

 「私はこれまでの生き方から色々なことを学びました。これからはこのお金を使ってこれまで学んだことを心に刻んでしっかり生きましょう。世の中から見捨てられている悲しい寡婦や、孤児の面倒も見ましょう。今度こそ自分の名誉を取り戻すために本心で頑張ろうと思います。それでこそあなた様の深い情けに応えることができるのかもしれません」

 老人は

 「それこそ私の望むところだ!「老君廟」2)には二本の檜の木がある。今、わしに言ったことを本当に実行できたら、来年の中元の日にその檜の木の下へわしに会いに来なさい」

 と言い、二人は別れました。

 当時、淮河以南3)の地域は寡婦、孤児、そして貧しい人々が各地から流れ集まるところと知られていました。杜子春もそれを知っていましたので、老人と別れると、老人から渡されたお金を持って直ちに楊州に向かいました。楊州に辿り着くと、彼は良い田畑百頃4)を買い、町中に立派な家を建て、また、売りに出ている家を買い求めては、寡婦や、孤児を住まわせました。姪や、甥などの縁談の面倒を見たり、亡くなった親戚縁者の墓を建てて供養をしたり、かつて恩恵を受けた人に恩返しをしました。一方、自分にむごい仕打ちをした人たちに仕返しをしたりもしました。そして翌年、杜子春は約束の日に老人に会いに行きました。 (続く)

1) 長安:今の西安

2) 老君は「太上老君」の略称で、つまり老子のこと。こ  こでは老子を祭るお寺のこと。

3) 淮南地域:淮河以南の地域。淮河は淮水とも言う。黄河と揚子江の間の大きな河です。河南省、安徽省、江蘇省を流れる。楊州は江蘇にある。

4) 百頃:一頃は約580アール、広さの単位。


                                *


                                 TOP