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  媛媛講故事―34

                           
怪異シリーズ 3
                                   
                          
定婚店            何媛媛

 「月下老人」は、縁むすびの神であるということを知らない人は少ないでしょう。でも「月下老人」が縁結びの神になった謂われをご存知でしょうか。それは唐の物語から始まりました。

 長安の南の郊外に杜陵原と呼ばれるところがあります。韋固という人は、その杜陵原で生まれましたが、少年の頃、両親を亡くし淋しい日々を送って育ちました。韋固は成長し、早めにお嫁さんを貰い跡継ぎを得て家族のいない淋しい生活に終止符を打ちたいと思っていましたがなかなか丁度いい相手に恵まれませんでした。

元和(唐代の年号806年~820年)2年のある時、韋固は河北省の清河へ遊歴に出かけました。その途中、河南省の宋城(注1)の南の方角にある旅館に泊まりました。そこへ知り合いが、清河郡の元の司馬(注2)・藩昉の娘との縁談を携えて訪ねてきました。そして、知人が翌日の朝、旅館の西の竜興寺の門のところにその娘を連れてくるというので、そこで待ち合わせることを約束しました。

 韋固は早く結婚したいといつも思っていましたので、若しかすると今度は良い縁談に恵まれるかもしれないと思い、なかなか寝付くことが出来ず夜明けも間近になってしまいました。それならばいっそのこと、約束の場所へ早く行こうと旅館を出ましたが、夜はまだ明けておらず、傾いた月がまだ皎々と輝いていました。韋固がふと気が付くと、旅館の前の石の階段に、布袋に寄り掛かるように坐った老人が月光の下で本を読んでいる姿が目に入りました。

 「何を読んでいるだろう」と思い、韋固がそっと老人に近づいて覗いてみますと、本に書かれた文字は、昔使われていた虫篆(注3)でもインドの梵字でもなく、オタマジャクシに似た全く見たことの無い文字で書かれていました。

 不思議に思った韋固は老人に訊きました。

 「お訊ねしますが、何の本を読んでいらっしゃるのでしょうか?私は幼い頃から勉強を続け、世の中で使われている文字は、今では読めないものが殆どないと思っています。たとえば、西方の国の梵文でさえも読めますが、あなた様の読んでいらっしゃるご本の文字は見たことがありません。いったい何処の文字なのでしょうか」

 すると老人は微笑んで答えました。

 「この本はの、人の世のものではないのじゃ。だからお前さまが読めるはずはないのじゃ!」

 韋固は吃驚して

 「この世の本じゃない?それではいったいどこの本なのですか?」

 と訊き返しますと、老人は

 「これは冥界の本じゃ」

 と答えました。更に吃驚した韋固は 

 「冥界の本ですって?するとあなたは冥界の方で、冥界からその本を持って来られたのですか?」

 「そうじゃ、その通りじゃよ。」

 韋固は質問を重ねました。

 「あなた様が冥界の方といわれるのでしたら、どうして今ここにいらっしゃるのです?」

 「わしがここにいるのが不思議なのではない。夜は冥界の世界だというのをご存じじゃろう。まだ夜も明けてないというのにお前さまがふらふら出歩こうとなさるからじゃよ。実はの、冥界の役人は、生きている人間の運命を管理しているのじゃ。だからと言っていつも冥界にいて仕事をしているわけではないのじゃ。時にはこの世も歩き回らなければならないときもある。お前さま達はご存じないかもじゃが、この世で夜、道行く人の半分は冥界から来ているもの達なのじゃ」

 と老人は説明しました。

 韋固は老人の話に益々深い興味を覚え

 「それではあなた様は冥界で何を管理していらっしゃるのですか?」

 と訊ねました。

 「私が管理しているのはの、人間の婚姻に関する帳簿なのじゃ」

 韋固はそれを聞いて嬉しくなり自分のことを老人に話しました。

 「実は、私は幼い頃に両親を亡くし淋しい日々を送りながら育ちました。その様な事情で、早く結婚し、子供を得て家の跡継ぎにしたいと願って来ました。この十年間、つてを頼んで妻となる人を求めて来ましたが、未だに見つからずにいます。今日は、元司馬だった藩氏の娘と見合いをする約束なので、待ちきれずこうして早朝宿を出たのです。どうでしょうか?この縁談はうまく纏まるでしょうか?」

 すると老人は

 「まだまだじゃ。運命というものは勝手に変えるわけにはゆかないのじゃよ。お前さまは将来、郡の役人になられるお方じゃ。何を隠そう、お前さまの妻となる女はまだ三歳になったばかりなのじゃ。が、十七歳になったらお前さんの家に入ることになっているのじゃ」

 と言いました。韋固は

 「そういうことですか。ところで、あなた様がお持ちの袋の中には何が入っているですか?」

 と訊ねました。すると、老人が答えました。

 「紅い紐じゃよ。これで夫婦になる男女の足を結ぶのが私の仕事のひとつでもあるのじゃ。人が生まれると、すぐ結婚する相手とこっそり結んでおくのじゃ。敵同士の間柄に生まれても、貧富の差が大きくとも、例えば呉、楚二つの国のように離ればなれの異郷に生まれていたとしても、いったんこの紐で結びつけられると、もう相手を変えるわけにはゆかないのじゃ。お前さんの足は既に決まった相手と繋がれているのじゃ。他の人を求めてもそれは無用というようなものじゃよ」

 韋固は老人の返事を聞いて焦って訊ねました。

 「では、私の妻となる人は今どこにいるというのでしょうか?其の女はどんな家の娘さんなのでしょう?」

 「お前さまが泊まっている旅館の北の方角の市場で野菜売りをしている陳ばあさんという人がいる。お前さまの結婚相手はその家の娘じゃ」

 「こっそり覗いても良いでしょうか」

 「陳ばあさんはの、よくあの子を抱いて市で野菜を売っている。わしについて来れば教えて上げよう」

 夜はすっかり明けましたが、約束した相手方は来ませんでした。すると老人は開いていた本を閉じ、袋を担ぎ上げると市場に向かって歩き出しましたので韋固も其の後を付いて行きました。

 市場に着いて老人が指し示す方をみますと、果たして片目がつぶれた、しかも粗末なぼろを纏った老婆が三歳ぐらいの女の子を抱いてやって来ました。とてもみすぼらしい格好をしているお婆さんでした。

 老人は、その老婆を指して

 「あの老婆が抱いている女の子こそお前さんの将来の妻じゃ」

 と韋固に告げました。韋固がこれまで思い描いていた結婚相手とあまりに違っていましたので許しがたい気持ちになり、老人に訊ねました。

 「私が若し、あの娘を殺したらどうなるのですか」

 「あの娘は、天子から授かった俸禄で生きる運命の持ち主じゃよ。その娘とお前さまが結婚して生まれた息子のおかげで、娘は天子様から土地を貰うことになり、お前さま達は老後、幸せに過ごすことになるのじゃ。殺せるものではない」

 老人は強く言い残すと、姿を消してしまいました。

 韋固は怒りが収まらず老人を罵り始めました。

 「老いぼれめ、きっとでたらめなことを言ったに違いない。私は士大夫(注4)の家柄に生まれついたのだ。結婚相手の家柄も私に釣り合う人でなければいけない。望みどおりの人が見つからないなら、美人の芸者でも身請けして妻としても良い。どうして片目がつぶれた汚い婆さんの娘を娶ることができようか!」

 韋固は刀を研いで下人に渡しながら、

 「お前はなんでも上手くやる。私の為に、あの女の子を殺して欲しい。成功した暁には望みどおりの金子をやろう」

 と言い、下人は承知しました。

 翌日、下人は刀を袖の中に隠し入れ、野菜市場に行きました。市場は人通りが絶えず賑やかでしたが、下人は人通りの隙を突いて女の子を刺すと、周りが騒然としている間に素早く逃げ出し、韋固と共に遠くへ逃れて行きました。

 韋固は下人に訊きました。

 「ちゃんと刺せたか?」

 「心臓を刺すつもりだったが、下手をして眉毛の真ん中に刺した」

 と下人は答えました。その後、韋固は何回も求婚の機会を得ましたが、いずれも失敗に終わりました。


  瞬く間に十四年の歳月が過ぎました。亡くなった父親の親友のお陰で韋固は相州(河南省)の軍の参軍(補佐)になり、相州の長官・王泰の下で、戸籍や、犯罪者の裁判に関わる仕事に携わりました。韋固の才能を見込んだ、王泰は自分の十七歳の娘を韋固に嫁がせました。其の娘は、なかなかの美人で、韋固は大変満足していました。

 しかし、一つだけ不思議なところがありました。其の娘は、眉毛の真ん中にいつも花型に切り抜いた色紙を張り付けていて、入浴する際も取ったことがありませんでした。韋固は不思議に思いながらもそのまま一年経った或る日、宋城で出会った老人が言った事と、自分が下人に頼んで、野菜売りの老婆が抱いていた女の子の眉間を刺したことを思い出しました。

 「君は、どうしていつも眉間に花を貼っているのかい?」

 妻ははらはらと涙を流しながら答えました。

 「実は私は州の長官どのの娘ではなく、姪なのです。私の父親は宋城の県令(注5)でした。私がまだ赤ちゃんだった頃、在任中の父が亡くなりました。その後、母も兄も亡くなり、私に残されたのは宋城にある屋敷だけでした。私を可哀相に思った乳母の陳氏が私と一緒に其の屋敷に住んで、野菜を売りながら暮らしていました。乳母は、幼い私をとても哀れんで、一刻も自分の手元から離さず育ててくれましたが、ある時、私を抱いて市場へ野菜を売りに行ったところ、突然、悪人が理由も告げず私の眉間を刀で刺しました。いまだ傷あとが消えませんので、それで色紙を花型に切り傷あとを隠しているのです。七、八年前、叔父が盧龍(河北省)に赴任した時、私を身元に置いてくれるようになりました。叔父はとても心の優しい人で、私を実の娘のように可愛がって育ててくれ、あなたに嫁がせてくれたのです」

 ここまで聞いた韋固は妻に訊ねました。

 「乳母の陳氏は、片目なのか?」

 「そうです。何でご存知なのですか?」

 「何という事なのだ!君を刺した人は実はわたしなのだ!運命とは、何と不思議なことなのだ」と言うと、妻に14年前のことを一つ一つ詳しく話しました。

 自分たちが結ばれる運命だったことを知った二人は以後、一層愛し合って、睦まじい日々を送りました。愛の結晶ともいえる息子にも恵まれ、鯤と名付け育てました。そして、更に何年か過ぎ、成長した息子は、雁門地方の太守(注6)に任命されて、韋固の妻は太原郡太夫人(注7)に封じられ二人は老後も幸せに暮らしました。


 その後、宋城の知事が其の話を聞き及び、「天命によって定められた人の運命は変えることが出来ないのだなぁ」と深く感銘し、感無量に思い、韋固が月の下で老人と出会った旅館を「定婚店」に名付けたということです。(終)

【注釈】
(注1)現在の商丘科或いは開封の両説ある。
(注2)司馬:官名、長官を補佐する。
(注3)虫篆:篆書の変体で、虫のようにくねくねと曲がって装飾化された先秦時代の文字の一種。
                  (右上に続く)
(注4)士大夫:知識を持っている役人。
(注5)県令:県の長官
(注6)太守:府の長官
(注7)太夫人:長官の母親

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