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  媛媛講故事―36

                           
怪異シリーズ 5
                                   
                         
幻の富貴出世            何媛媛

  元の至正六年(1346年)、泰州(江蘇省楊州市)に何友仁という書生がいました。彼はとても貧乏で、十分な食事もとれず、まともな服も着られず、苦しい生活を余儀なく送っていました。

 そんなある日、何友仁は土地神である「城隍神」を祀った「城隍廟」へ参拝に行きました。「城隍廟」の門をくぐって中に入り広い境内を見回しました。大きな正殿の東、西に幾つかの小さな堂があって、東の堂には一つの机が置かれ、その上方に「富貴出世を司る」というような意味合いの文字が書かれた扁額が掛けてありました。何友仁は急いでその扁額の前へ出て熱心に祈りました。

 「私は、この世に生を受けて四十五年になります。私は一年を通して一生懸命働いているのですが十分な衣食を得たことがありません。真冬は皮の服一枚で凌ぎ、真夏は葛糸織りの服一枚で過ごしています。「今年は暖かい冬だ」とひとが話し合う冬でさえ私は寒さにうち震えています。食事はといえば、朝夕お粥一杯をすするだけです。豊作の年もお腹いっぱい食べることのない日々が続いています。このような生活ですのでお金を贅沢に使うなどということはとてもできないのですが、だからといって悪事を働いたことはありません。頼りになる親戚や、友達は無く、妻も子も私を軽蔑し、周りの人々も相手にしてくれません。このような辛さや苦しさを誰に話したらよいのでしょうか。
 私はこのような毎日を送っておりますので、恥も見栄もかなぐり捨てあなた様の前にひざまづき私のこの先についてお伺い申し上げます。私は良いチャンスに恵まれることがあるのでしょうか、手を結べる人はどこにいるのでしょうか。どうかお告げください。今の私はまるで水が涸れて死にかけている鮒のようです。どうぞ一斗ほどの水を与えて命を救ってくださいませ。私は羽を休める場所が見当たらず疲れきった鳥のようです。どうぞ一枝を地面に挿してひと時の憩いをください。この暗闇の中で道を失い迷っている私に明るい方向をお示し頂ければ、あなた様の暖かなお情けを生涯忘れる事はないでしょう。なにとぞ哀れな私にお情けを賜りくださるよう深く深くお願い申し上げます。もし私の運命がすでに前世で決められおり、今のようなありさまがこれからも続くというのでしたらその報いがどこにあるのか教えて頂けますようお願い申し上げます」

 何友仁はこのような願いことを唱えながら、机の前にひれ伏していつまでも祈り続けました。

 そのうちいつしか辺りは暗くなり夜が訪れました。ふと気が付くと廟の中で不思議な光景が繰り広げられ始めました。全ての堂は灯りが点され、大勢の人ががやがやとなにやら騒ぎながら集まって来ました。廟の役人たちのようです。しかし何友仁がいる堂だけは灯りも点されず、人も来ず、静かなままでした。

 だんだん夜が更けて来ました。すると突然、「道を開け!城隍様がお出ましになるのだぞ!」と大きな声がひときわ高く響いて、威厳ある風貌の城隍神が、大勢の従者に囲まれてしずしずとやって来ました。東、西堂の役人たちはそれを見ると、すぐさま二列に並び、恭しく城隍神を出迎えました。礼服をきっちりと纏った城隍神は廟内に入ると、薄絹を貼った提灯を捧げ持つ従者たちが、両側に整然と並ぶ中を威風堂々と正殿に向かい、用意された真ん中の席にすわり、廟の役人たちの拝礼と挨拶を受けました。役人たちはその後各自の堂に戻って再び自分の仕事を始めました。

 この頃になって富貴出世の神が廟にやって来ました。実は富貴出世の神は城隍神の使者として、天帝に拝謁してこの時戻ってきたのです。富貴出世の神も城隍神に挨拶をすると何友仁がいる堂に来て、自分の席に着きました。すると、役人の帽子を冠り、緑色の官服に三角模様の帯を巻いた幾人かの役人が入って来て、富貴出世の神に挨拶をし各自が為した仕事について報告を始めました。

 その一人が言いました。

 「某県にある家は二千石(注1)の米を貯蔵していましたが、最近、旱魃や、蝗の害など相次いで起って、米の価格は数倍にも値上がりました。隣県はお米を県外に売らないようにというお触れを出し、食べるものが無くなって野良には餓死した人の死骸もあります。そこでこの家の主人は倉のお米の放出を決めました。利益も貪らず、いつもの価格で人々に提供し、またお粥を炊いて、町の貧しい人々に与え、多数の人を助けたりもしました。昨日、県の守護神からその報告を受けましたので私はすぐ城隍神に申し上げ、城隍神よりそれを天帝に上奏して頂きました。すでに天帝からの伝令が届いております。褒美として、その家主は三十六年間の延命をし一生分の糧食を賜ることにするとのことでございます」

 又一人が報告しました。

 「ある村に婦人がおります。夫は遠方で仕事をしており今は家にいないのですが、その女性は姑に対して行き届いて面倒を見ています。或る時、姑は重い病気になりなかなか治りませんでした。医者に診て貰ったり、巫を呼んで祈って貰ったりしましたが効果がありませんでした。そこで、女性は自ら斎戒沐浴し、姑の病気の苦しみを自分に身代わりさせてくださいと天に祈りました。さらに自分の股の肉を削って汁にし姑に飲ませたりもしましたので願いが叶って姑の病が遂に快復したということでございます。昨日、天帝よりの公文が城徨神のところに下りました。公文には「この女性の孝心と行動は、鬼神をも感動させる力がある」と讃える言葉が書かれ、彼女に二人の男の子を授けて、この子供たちが成人した暁には、国の俸禄を与え、一族を繁栄させようとあり、さらにその女性に命婦の称号を授与して孝行に報いようととのことです。私はすでにその女性の名前を福籍(注2)に記録いたしました」

 その役人の話が終わると続いてもう一人が話を始めました。

 「某姓の役人は職位が高く、俸禄も多い。しかし、国にたいする報恩の気持ちはまるでなく、ひたすら私腹を肥やしてきました。銀錠(注3)300個ではきちんとした裁判をせず、500個を差し出せば法律を曲げることも意に介しません。城隍神はすでにこの事実を天帝に奏上し罪名を与え、懲罰するお考えですが、この人は祖先の強い陰徳に恵まれております。やむなくあと数年経たのちに処罰をすることになり、その時、必ずその一族を滅ぼす災いをも与えるとのことでございます。今朝、天帝からの命令が下り、先ずは懲罰を加える方の名簿にこの役人の名前を記入して、ただ時期を待つだけとのことでございます」

 続いて、もう一人が言いました。

 「某郷の某人は、良い畑何十頃(注4)もあるのですがそれだけでは満足できず、強欲で他人の土地を自分の物にしています。隣家の土地が某人の土地とつながっていることから隣家を欺いて自分の土地にすることを思いつきました。つまり隣家の家族数が少なく、立場も弱いので無理矢理に安いお金で買い取る契約をし結局その代金を払わないままにしたのです。隣人の主は恨みが高じてやがて憤死してしまいました。私は城隍神からの指令を受け、某人が亡くなった時に地獄に落としました。人づての話では、某人はもう隣の家に牛として生まれ変り、一生懸命働いて罪を埋め合わせているとのことでございます」

 役人達が次々報告するのを聞き終わると、富貴出世の神は突然眉を吊り上げ、目を見開いて大きなため息を漏らしました。

 「諸君は、それぞれの仕事を忠実に勤めており喜んでいる。善行を褒め、悪行を処罰し、すべて綿密に滞りなく処理していると感じるが、しかし、天運は既に決定され、人間が避けることのできない苦難の運命が待っていることがあるのだ。これまで長く続いてきた現統治は以後衰えて行き、おそらく大難の時代が訪れるであろう。諸君がこのように職務を立派に全うしても天運を変えることはできず残念この上ないことだ」

 役人たちはみんな吃驚して

 「おっしゃっていることの意味が分かりませんが?」と富貴出世の神に訊ねました。富貴出世の神は

 「実は私は城隍神の使いで天帝のところに行ってきたのだ。神々の話では数年後に内乱が起こり、黄河の南から、揚子江の北に至る地域で三十万人あまりの人々が殺されることになっているそうだ。そのようなことが起れば、日頃から他の人に勝る善行を積んで、徳行が優れ、忠誠心が深く、孝行の人でないと難を免れ得ないのだ。残念ながらごく普通の庶民は保護されることはなく、塗炭の苦しみを味わうことになるだろう」

 役人たちはみんな眉を顰めて、互いに顔を見合わせるばかりでしたが、やがて黙って各自の職場に戻って行きました。

 さて、何友仁はこの間、机の下にじっとひれ伏したまま息をひそめて事の成り行きを見ていましたが、役人たちが全て引き上げたのを見届けると終に我慢できなくなりました。机の下からそっと這い出て恐る恐る富貴出世の神の前に出て立ち上がりました。

 何友仁は富貴出世の神に訊ねました。

 「私は生まれてこの方、ずっと貧しい日々を送って来ました。その訳を教えて頂けますか?そして、この先はどうなるのでしょうか?」

 富貴出世の神はしばらくじっと何友仁に見つめていましたがやがて下役に帳簿を持って来させ自ら調べ始めました。しばらく経ってから、何友仁に向かって話しました。

 「そなたは素晴らしい福禄を持っているのだ。今の貧しい生活は長くはない。これからは、日に日に豊かになって暗闇から出て、明るい生活が始まるだろう」

 「それは本当でしょうか?その訳をもう少し詳しく教えて頂けませんでしょうか?」

 何友仁はもう一度富貴出世の神に伺いました。

 すると富貴出世の神は紙と朱筆を取り、紙に「遇日而康、遇月而発、遇雲而衰、遇電而没」と十六の大きな字を書いて、それを何友仁に渡しながら言いました。

 「日に会えば豊かになる。月に会えば金持ちになる。雲に会えば衰えよう、稲妻に会えばそなたは亡くなるのだ」

 何友仁は有難くその紙を押し頂いて懐に入れると富貴出世の神に繰り返し礼拝をして城隍廟を後にしました。


 廟の外は、夜のとばりに曙がほのぼのと現れたところでした。何友仁は、富貴出世の紙が書いた16文字を再び読もうと思って懐に押し頂いた紙を探りましたが、不思議なことにその紙はいつの間にかなくなっていました。


 家に帰った何友仁は前夜のことを妻と子に話しました。将来が良くなると富貴出世の神に告げられたことを話しながら彼は自分自身もいくらか慰められたように感じました。

 数日後、何友仁のところへ傅日英という町の豪族が訪ねてきて、自分の家の子弟に学問を教えて欲しいという申し出がありました。何友仁はその申し出を受け、彼は教師になりました。報酬として月に銀錠5個が手に入るようになり、その後の生活はだんだん楽なって来ました。

 このようにして何年か続いた頃、高郵(江蘇省)の張士誠(注5)が兵を挙げて反乱を起こしました。脱脱という名の承相が朝廷の命令を受けて兵馬を率き、反乱を平定にすることになりました。丁度その頃、何友仁は達理月沙という朝廷の将軍と知り合いになっていましたが、この達理月沙は非常な読書好きで学問を好み教養のある人物でした。何友仁は達理月沙の為に良策を献じて気に入られ、達理月沙は何友仁を脱脱承相に推薦しました。このようなことで何友仁は軍に入るや参謀として、部下や馬車が供される身分になりました。

 脱脱承相が勝利を収めて凱旋し都に帰ると何友仁は朝廷の役人として推挙され、翰林院(注6)で就任したのを初めとして、その後さまざまな省、部の重役を歴任して名を上げて行きました。

 その後、文林郎(注7)の御史(注8)に就任しましたが、同僚に雲石不花という人物がおり、何故か二人はそりが合わず、何友仁は上司に讒言されて左遷され、雷州(広東省)の録事(注9)に下りました。


 何友仁はその昔富貴出世の神が彼に語った話を思い出して、「日、月、雲、電」の四文字の中、三文字との出会いによって自分の運が変わってきたことに思い当たり、非常に不安に思い、絶対に不正は行うまいと自らを諌めました。

 そして又二年経ったある日、或る用件について上部へ書類を提出する必要が生じました。下役が準備した公文書に何友仁は「雷州録事何友仁」と署名をしようと筆を取り書き始め、丁度「雷」のところを書いていた時に、紙が風に吹き飛ばされそうになり「雷」の下に尾を曵き出してしまい、「電」になってしまいました。何友仁は機嫌が悪くなり、下役に公文書を作り直させてサインをしました。


 ところがその夜になって、何友仁は気分がすぐれなくなり、自分はふたたび起き上がることはないと悟りました。妻や息子や娘たちを自分の枕元に呼んで家のこと等を託して別れを告げて亡くなってしまいました。家族は富貴出世の神が預言したことはこれだったかと知りました。

 その後の至正十一年(1351年)、張士誠が淮東(江蘇省淮安)で再び反乱を起こし、明の開祖となる朱元璋が淮西で国を興そうと兵を挙げ、内乱が絶え間なく続きました。その為に淮河沿岸部はこれらの戦乱により亡くなった民は三十万を超えました。正に富貴出世の神が城隍廟の役人たちに話した通りになったのです。(終)

注1:米穀などを量る単位。1石=10斗、約180㍑
注2:地獄の帳簿。善行を行った人の名を記録
注3:元で流通していた銀塊の通貨。馬蹄形をしたものなどいろいろある。
注4:土地の面積。1頃約6ヘクタール
注5:元末の農民造反のリーダー
注6:昔皇帝の詔書、公文、史書などを起草、編纂する部門
注7:官級の一つ
注8:朝廷の監察員に当たる
注9:官名。官僚たちの善悪行為の記録、書類の処理することを行う


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