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  媛媛講故事―48

怪異シリーズ 17    土中に隠したお金Ⅲ
                                 何媛媛


   
 月日の経つのは早いものです。周秀才の息子の長寿は賈仁の家で元気いっぱいに育ち、いつの間にか立派な青年になりました。幼い頃のことはすっかり忘れてしまい、賈仁が自分の実の父親ではないことさえ疑うことはありませんでした。
 しかし、養父の賈仁は、お金を命よりも重要だと思うほどのケチで町でも有名でしたが、長寿は養父と全く違ってお金の使い道にあまり頓着しませんでした。友だちと気ままに遊興するばかりでなく乞食には金額を気にせず施したりしましたので、長寿は人々から「銭舎」(註)というあだ名で呼ばれるようになりました。

 長寿が成人して五、六年後に養母が亡くなり、さらに三、四年すると今度は、養父の賈仁も病気で倒れ、長寿がいよいよ家業を継ぐ日が近くなりました。

 ある日、長寿は町へ遊びに行きたいと思いましたが、手持ちのお金に余裕がなくいろいろ考えた末、或る策を考えました。

 「父上様が元気になるように私は何かをしなければと思っているのですが、ちょうど明日『東岳廟』が大きな法要を行うと聞きました。私も『東岳廟』に行ってその法要に参加し、お父上の回復の願掛けをしたいと思うのですが如何でしょう?」
 と賈仁に相談しました。

 賈仁は大喜びで少しばかりのお金を長寿に与えながら言いました。

 「このお金を持って行きなさい。父さんが元気になるようと神様に良く願って来ておくれ!」

 長寿は、父親の手からお金を貰いましたが、心の中で「こんな程度のお金ではなにも出来ないじゃないか」と思いました。そこで、長寿は父親の枕元から金庫の鍵をそっと抜き取り、沢山のお金を取り出すと家の下人を連れて出かけました。

 二人は町で思う存分に遊び、更に豪華な食事もして、その上でやっと東岳廟へ向いました。

 この東岳廟は広大な敷地を持つ名高いお寺です。大きな法要が行われる度に沢山の人々が集まります。遠方から遥々やって来る人もいます。法要の様子を良い場所で見たいと、人々はいつも前の日から集って来ました。

 二人が東岳廟に着いた時には、境内はすでにどこもかしこも法要に参加する人々でいっぱいになっていました。二人は境内を一巡して、夜を過ごせる場所を探しましたが見つける事はできません。廟の廊下で一晩凌ぐしかないと覚悟を決めた時、ふと見ると粗末な服を着た夫婦が廊下の一角に設えたテーブルの前の椅子に坐っていました。

 長寿は下人に言い付けました。

 「あそこは良さそうな場所だなあ。お金を出して椅子を譲って貰えないかどうか、あの夫婦に相談してみてくれないか」

 「はい、分りました」

 下人は夫婦の前に来ると偉そうな態度で言いました。

 「おい!こんな良い場所は、あんた達のような人の居場所じゃない!早く俺の主人に譲ってくれ!」

 夫婦の夫の方が吃驚して

 「ご主人って、どなた様ですか?」

 と訊きました。

 「知らないのか?銭舎だよ!」

 「私たちは地元の人間ではないので、あなたのご主人のことは分りませんが、私どもは明日の法要のために、名簿や文書などを書く仕事をさせて貰います。そんな訳で東岳廟の主事がこのテーブルと椅子を貸してくださいました。ですから、あなたのご主人にお譲りすることは出来ないのですが」

 下人は更に大きな声で怒鳴り始めました。

 「ものを書くといっても、そんなことはどこでもできるだろう?俺の主人がここが気に入ったのだから、さっさとどいてくれ!」

 夫婦の夫が大変怒って

 「我々が先に来ているのです。藪から棒に何と理不尽なことを言うのですか!?」

 と抗弁を始めたところへ、東岳廟の主事が来ました。

 「こんなところで大きな声で喧嘩するとは何事だ!」

 下人は言いました。

 「俺の主人である銭舎様がこの場所を気に入ったと言っている。譲ってくれと交渉しているところだ」

 主事は

 「それは無理というものだ。夫婦の方が先に来ていたではないか」

 下人はちょっと驚いたという感じで目をぐるぐる回してから続けて言いました。

 「金を払ってこの場所を買うならどうだ?」

 お金を払うと聞いて、今度は主事の気持ちが変りました。夫婦に向かうと

 「喧嘩を止めなさい。もっと良いところへ案内しましょう」

 と言いました。

 夫婦も、豪華な身なりでいかにも大家の坊ちゃん風の姿をした長寿を見ると、自分たちが比べようもない貧しく弱い立場から、仕方なく黙って主事についてその場を離れました。


 実をいうと、この夫婦は、長寿の実の両親です。この十何年間、ずっと運が悪かったのでした。頼りに出来る友人も、親戚もなく、まともな仕事を見つけられず、長寿を賈仁に託した後、ずっとあちこち転々として過ごして来ました。

 近頃になって、息子のことや古里のことが懐かしくなって来、帰途についたのでした。長旅を続け、もう少しで古里というところにある東岳廟の前を通りかかったところ、丁度大きな法要が開かれるということを知りました。そんな訳でこの法要に加わり、先祖の供養をするとともに自分たちの運命を変えたいという祈願もあって東岳廟に立ち寄ったのでした。そして廟の主事に相談した結果、書類書きの仕事をして報酬を少しばかり稼げることになりました。

 夫婦はここで長寿に会えるとは夢にも思っていませんでした。いや、たとえ顔を会わせたとしても、すでに十何年もの歳月が過ぎてしまったのですから、お互い昔の顔かたちとすっかり変わってしまって赤の他人同士に思われるに違いありません。

 この夜、長寿は自分の両親から譲って貰った場所でぐっすり眠りました。しかし、あの貧乏な夫婦が自分と特別なかかわりがある人たちとは露ほども考えませんでした。

 翌日、盛大な法要が終わって、長寿が家へ帰ると、養父の賈仁の様態はますます悪くなっていました。急いで医者を呼び、いろいろな薬を飲ませました。しかし、どんな方法も養父の回復には結び付かず、それから二日後、賈仁は沢山の財産を残してこの世を去りました。

 そして長寿は賈仁の正当な継承人として家の全財産を受け継ぐことになりました。

 さて、周秀才夫婦は、「東岳廟」の法事で先祖を供養の後、古里へ向かい、やっと十何年かぶりに古里の町に辿り着きました。

 元々身体があまり丈夫でなかった周秀才の妻は長い旅の疲れがあってか、突然胸が痛くなりました。周秀才が周辺を捜すと、さほど遠くないところに薬局があり、玄関に「施薬」の看板が掲げてあります。

 「もしかしたらただで薬を頂けるのか」と思い、夫婦は急いで入って行きました。医者に病状を話し相談すると、果たして薬をただで貰うことができました。しかもそれだけではなく、きれいな水までも持って来て「ここで飲んでしばらく休んで行けば良いでしょう」と親切に対応してくれました。

 周秀才の妻は薬を飲んで約半時間後すっかり元気になりました。(続く)

【註】
銭舎:お金を施す人の意

                                                                    


                         
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