媛媛講故事―41 怪異シリーズ 10 郭元振、妖獣を退治する 何媛媛 唐の開元(713~741年)の頃、将軍・郭元振は、都での役目が終わり、家来たちと共に故郷へ帰ることになりました。その途中で道を失い、同じところをぐるぐる回るだけで先へ進むことが出来なくなりました。 日暮れ時に近く辺りが薄暗くなってきています。ぼんやりと前方にかすかな灯が見えましたので、馬に跨って灯の見える方向へ進んで行きました。かなり時間を掛けて進んで行きますと、立派な門構えの向こうに広い庭が続く、いかにも金持ちの豪邸の前に出ました。今晩はここで宿を頼もうと思い、馬を降りて門を叩きました。しかし、何度叩いても、誰も出てきませんでしたので、門を軽く押してみますとぱっと開きました。鍵は掛けられていなかったのす。 郭元振は不思議に思いながら、庭の奥を眺めましたが、人の影はありませんでした。そこで、馬を引いて門の中に入って見ますと、ますます不可解な光景が広がっていました。廊下や母屋には灯が煌々と輝き、幾つもの食卓の上に山海の珍味やお酒が並べられて、まるで結婚の披露宴を行っている様子に見えます。しかし、人の気配が全くありませんでした。 郭元振は馬を廊下に繋ぐと、階段を上り、母屋の中を歩き回りながら、これはいったいどういうことなのかと考えました。 と、そのとき、東の部屋から、女性の泣き声が聞こえてきました。 「そこで泣いているのは誰だ? あなたは人なのか?それとももしや幽鬼なのか? 母屋の食卓に美味しそうな食べ物いっぱい並べられているが、なぜ食べる人がいないのか?」 郭元振は訊ねました。 すると、泣き声が止んで、問に答える声が聞こえてきました。 「私が住んでいるこの村に、「烏将軍様」という神様を祀っている廟があります。この「烏将軍様」は村の幸せを守る神様ですが、災いをももたらすのです。毎年、「烏将軍様」は村の人々に美女を選ばせては妻とします。もし応じなければ、災いを起こすといいますので、村の人々は災いを避けるために、毎年美女を選んで嫁がせます。私は美女ではないのですが、父は財産を増やすのに一生懸命で村人からお金を受け取り、私が知らない間に「烏将軍様」に嫁がせることを決めました。今日の夕方、村の人たちは結婚の宴を用意して私を酔わせてこの部屋に閉じ込めた後、みんな帰りました。今は「烏将軍様」を待っているだけなのです」 郭元振はそれを聞いて、暫く考えてから言いました。 「娘が親の決めた結婚相手と結婚するのは古くから決められていることだ。将軍様の許に輿入れするというのは喜んでよい事ではないのか?」 女性の声が言いました。 「あなた様はご存じないからその様におっしゃるのでしょうが、「烏将軍様」に嫁いだ女性はこれまで皆、新婚の当日に殺されてしまうのです」 郭元振はそれを聞くと、怒りに堪えかねたように言いました。 「なんということなのだ。その様なものは将軍とは言えぬ。まさしく悪魔じゃ!」 「おっしゃる通りですが、親は私をここに置き去りにしました。私は間もなく殺されるのです。私は怖ろしくてなりません。あなた様は、お声から誠実な、心の優しい人のように感じます。もし、私を救って下さいましたら、身を尽くして生涯あなた様の身の回りのお世話を申し上げたいと存じます」 郭元振は重ねて訊きました。 「その将軍とやらはいつ来るのか?」 「二更(注1)頃です」 「私も男だ。その男と戦ってそなたを救おう。若しかして負けるようなことがあれば、私は君と共に死を選ぼう!」 女性は郭元振の言葉を聞くと泣くのを止めて落ち着きました。郭元振はどっかと母屋の階段に座り、女性がいう「将軍」を待つことにしました。 間もなく馬車が近づく音が響き始めますと、松明で辺りを照らしながら紫色の服を着た下役らしい男が庭に入って来ました。しかし、厳しい顔をして座っている郭元振を見ると、慌てて庭を出、馬車に乗っている自分の主人に告げました。 「丞相(注2)殿が奥にいらっしゃいます」 続いて、黄色い服を着た小吏が郭元振のいるところへ入って来て郭元振を見、又出ていって 「確かに丞相殿がいらっしゃいます」 と先の男と同じように報告しました。 郭元振は、‘私のことを丞相と呼んでいる。ひょっとしたら自分は将来は丞相になれるようだ。相手に勝てるかもしれない’と心ひそかに嬉しい気持ちになりました。 「そうであるか。それでは入ることにしよう」と馬車の上の主の話し声が聞こえると今度は弓や、剣などの武器を持った兵士たちに囲まれて、将軍の扮装をした威厳ある人物が入って来ました。‘烏将軍が来たのだな’と郭元振は思い、立ち上がると烏将軍に挨拶しました。 「私は郭秀才と申します。ここで会うことができ光栄です」 「郭秀才はなぜここにいるのか?」 「今日烏将軍の結婚の披露宴が開かれると伝え聞いて参上しました」 烏将軍は、 「そうか? では一緒に座って食べるがよい」 と誘いました。 郭元振は烏将軍に向かい合って座り、話しながら食べたり、飲んだり始めました。その一方で心の中では烏将軍を成敗する策を考えていました。 郭元振は、手元の袋に切れ味の鋭い刀が入っておりましたので、その刀を使って烏将軍を刺そうと考えました。 「烏将軍は鹿の干し肉を召し上がったことがおありでしょうか?」 郭元振は烏将軍に訊ねました。 「それは此処ではなかなか手に入れられないものなのだ」 「私は少々持ってきております。将軍に差し上げたいのですが…」 「それは、それは。有難いことだ」 烏将軍は郭元振の申し出に上機嫌になりました。 郭元振は立ち上がると、袋から鹿の干し肉と刀を取り出し、肉を切って、小さな茶碗に入れて烏将軍に勧めました。 「では、どうぞ、召し上がってみてください」 烏将軍は喜んで郭元振の方へ手を延ばして肉を取ろうとした瞬間、郭元振はいきなり烏将軍の手を押さえ、手にした刀で切り落としました。烏将軍は「ぎゃー」と大きな悲鳴を上げると飛ぶように逃げて行きました。部下たちも恐怖に駆られ一目散に将軍の後を追って逃げて行きました。 郭元振は、烏将軍の様子を見に行くように家来に命じ、自分の服を脱いで切り落とした手首を包みました。間もなく戻って来た家来たちは、烏将軍の姿はもうどこにも見えなくなっていると郭元振に報告しました。 郭元振は女性が閉じこもっている部屋に近づくと 「烏将軍の手を切り落とした。夜が明けたら、その血の跡を追って探せば捕まえられる。そなたはもう死を免れることができたのだ。早く出て来て食事をされるがよい」 といいました。 部屋の扉が開けられると、十七、八才くらいの美しい娘が現れました。娘は郭元振の前へ進み深々とお辞儀をして言いました。 「命を救って頂き本当に有難うございました。どうか私をあなた様の召使いとしておそばに居させて下さいませ」 「いや、私は旅人なのだ。それは出来ないことなのだ」 郭元振は固辞しました。 ようやく夜が開け、郭元振が烏将軍の手首を包んだ服を開いて見ますと包みの中にあったのは、なんと、人間の手首ではなく豚の足でした。皆が驚いていると、庭の外から泣き声や人々の声ががやがやと聞こえてきました。見ると、娘がもう死んでいると思っている親や親戚、村人たちが柩を担いでやって来ています。 人々は娘がまだ生きているので吃驚し、その事情を娘に訊ねました。しかし、郭元振が烏将軍の手を切り落とした話を聞くと、村人たちは喜ぶどころか怒り出し、郭元振に詰めよりました。 「烏将軍はこの村を守る神様だったのだ。皆で長い年月拝んできたのだ。毎年村の娘を嫁がせたからこそ、村民が平安に過ごすことができたのだ。あなたが烏将軍に乱暴したり、怪我を負わせたりしたら我々はどうなるのだ。我々はあなたを殺して烏将軍に供え、烏将軍のお裁きを待たねばならない」 郭元振は皆が口々に言うことを我慢して聞いた上で説得しました。 「みなさん、私が退治したのは妖獣なのだ。考えてごらんなさい。本当の神とは天帝から派遣され、民の幸せと安全を守るはずだ。しかし、この将軍は毎年、村の娘を殺し続けているではないか」 そして、郭元振は豚の足を皆に見せると続けて話しました。 「烏将軍が本当の神様なら豚の足をしていることがあろうか? それだけでも明らかに妖獣だということが分かろう。私は正義の為に最後まで戦うつもりだ。どうか私の話を信じて欲しい。若し妖獣を退治できれば、これまでのように毎年村の娘を犠牲しなくて済むのだ。それが、本当の幸せではないのか?」 人々は郭元振の説得にやっと納得し、郭元振は百人ほどの人々に槍、弓矢などを持たせて血の跡を辿って行きました。十キロほど進んだところで大きなお墓に行き当たり血の跡はそこで消えていました。 「ここだ!」と郭元振は人々に墓を囲ませ、墓を掘り始めました。すると間もなく墓の中から大きな洞窟が現れ、松明を燃やして奥へ投げ込んで見ますと、その中に、左の前足がない巨大な豚が、血にまみれて倒れていました。豚は、火と煙に責められて洞窟から抜け出ようとしましたが、人々が武器で一気に殴りつけ、間もなく死んでしまいました。 村民たちは大変喜び、お祝いの宴会を催し、お金を出し合って、そのお金をお礼として郭元振に差し出しましたが、彼は受け取りませんでした。そして「私は民のため害を取り除いただけだ。猟をしてお金を得たりはしない」と述べました。 郭元振がいよいよ村を離れる時が来ました。救われた娘はどうしても郭元振に付いて行きたいと両親に自分の本心を告げました。 「私は父上母上の許に生まれて幸せでした。深く感謝申し上げております。しかし、父上母上はお金と引き換えに私を烏将軍に差しだしましたので、私は父上母上に尽くすべき義理がなくなりました。郭様がおいででなければ、私は既に死んでおります。ですから父上母上は私が死んだものと思召してくださいませ。私は、郭元振様のところで新しく生まれるのです。今後、私は郭様に従って生き、古里はもう忘れることにします」 娘は涙を流しながら、両親にお礼の言葉と共に別れの言葉を言いました。 郭元振は自分には既に妻がいること告げ、娘が思いとどまるように説得しましたが、娘の意思は固く、結局郭元振と一緒に旅立ちました。 娘はその後、郭元振の側室になって、数人の子どもに恵まれたとのことです。 注1:夜9時~11時 注2:大臣 ******* 前に戻る TOPへ |
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