'



  媛媛講故事―58

怪異シリーズ 27          南柯太守の夢Ⅲ

                                 何媛媛


【前号までのお話】唐の貞元(紀元785~805)時代、淳于棼という人が酔い潰れ庭の大きな槐の木の下で眠っていると、槐安国の国王から迎えが来て、国王から国王の次女と結婚することになっていると告げられる。そして、槐安国の娘と結婚したが…。

**************************

  このようにして槐安国の国王の娘と結婚した淳は、心の奥深くで父親のことを懐かしく思いつつも新婚の妻と穏やかな生活を送りはじめましたが、淳の妻は、夫が父親のことで心が晴れないでいると察し、父でもある国王に相談しました。

 「お父上様、どうしたら良いでしょう? 淳さまの心を晴らすために何か仕事をさせて頂くのは如何でしょうか?」

国王は、淳を呼んで訊きました。

 「仕事をして貰いところがあるのだか頼めまいか。実は南柯郡大守のポストは今空いているのだ。そなたにやって貰えまいかと思っているがどうであろうの?」

 「政治について私はなにも分かりませんが宜しいでしょうか?」

 淳の妻は夫を励まして言いました。

 「何事もして見なくてはいつまでも分かるようにならないのではないでしょうか? 挑戦してみては如何でしょうか」

 「わしは、そなたがなかなかの政治的能力を持っていると感じている。南柯郡はいろいろ問題が生じて、これまでの太守を免職にした。そなたに任せよう! 娘もそなたと共に行くのだから、二人で力を合わせて行けばよいと思っておるがどうであろうか」

 と、国王は言い、王妃も

 「そうですとも。二人で相談し合えばきっとうまく行きますよ」

と勧めました。

 淳は謹んで、国王の命令を拝受し、国王は役人に命じて太守としての仕事内容を伝えると共に、長旅に必要なものをいろいろと準備させました。併せて黄金、珠玉、絹、錦、車、馬、日常生活の什器など取り揃えて万全な準備をし、十数人の従者も二人と共に任地に向かうことになりました。

 出発にあたり、淳は国王に次のような上奏文を奉りました。

 「私は政治を行う特別な才能もないにもかかわらずこのような大役を仰せつかることになりました。誠心誠意を以て任務にあたり、朝廷の綱紀を損なうことのないように誓います。と同時に、賢者、哲人を広く求めてほしいと願っております。そして力不足の私を補佐してもらえることができればこの上なく有難く嬉しいことと存じます」

 「そなたの心に適う人物はおるかの? 若しそのような人物がいるのであれば連れて行くがよい」

 国王の言葉を聞いた淳は、

「私の古い友人で、周弁と田子華と申す者がおります。周君は忠誠心の厚い人物でこの国の警察官を勤めております。国の法を遵守して誤ることなく私を補佐してくれる筈の人物だと存じます。一方田君は慎み深い人物ですが、政治に通暁しており、政務を託するに信用できると信じております。その二人が私と共に参れば、南柯郡は全て順調に治められると確信しております。なにとぞお願い申し上げます」

と国王に述べました。国王は快く淳の願いを聞き届け、二人を南柯郡へ派遣してくれることになりました。

 出発の日、国王と王妃は都のはずれまで見送りに出、国王は淳に別れる際に次のように言いました。

 「南柯郡はわが国の中でも大きい郡だ。土地は肥沃であり、人々は素朴で正直である。是非とも慈悲深い政治で治めて欲しい」

 王妃もまた、

 「妻として夫にきちんと仕えられれば、私は何も心配しないでいられます。南柯郡はそんなに遠くはないけど、何時また会えるか分りません」

 と、娘を教えさとしながら涙を流しました。

 このようにして淳とその妻は国王と王妃に別れを告げ、従者を従えて馬に乗り、遥か南の国の任地へと出立しました。途中数泊もすると、行く手に立派な城郭が見えて来ました。近付くと「南柯郡城」という大きな扁額が城郭の入り口に掲げられ、いかにも立派な都に来たようです。そうです、南柯郡の都に到着したのです。

 城郭の門に近づくと、下役の役人らしき者が門から走り出て来、深々とお辞儀をして、

 「皆さまが既に集まっておられ、太守様の到着をお待ち申しております」

 と報告しました。

 淳が城門の中を覗くと、城門の両側には南柯郡の役人や、僧侶や、地元の長老等身分が高いとおぼしい人物たちが多数並んで恭しく出迎えに出ておりました。

 案内人が先頭に立ち城門を通り抜けると、城内は祭でも行われていたかのように、至る所で太鼓が叩かれ、鐘が鳴らされ、音楽が奏され、人々が溢れ出ており町中に目出たい雰囲気が漂っています。淳は深く感動し、必ず国王の期待に背かないよう、民衆の希望に応える政治を行おうと心の中で誓いました。

 着任後しばらくすると、淳は先ずは町中を歩き回って人々の生活をつぶさに視察し、貧困や病気で苦しむ人々を救うための施策を施し、南柯郡の政治・経済を立て直すべく南柯郡の政務に励みました。また、淳と共に南柯郡を任地として赴いた周弁、田子華の二人も、共に優れた政治的能力を持つ人物なので、それぞれに国の要所を担当して貰い、淳は南柯郡の政治、経済、治安の凡てに亘って心を配り治めて行きました。

 淳の賢明で、寛容な政治・経済の政策の下で、郡の人々の生活は安定し豊かになり、郡は見る見るうちに繁栄して行きました。そして、歳月は瞬く間に過ぎて去り、淳は郡の太守として間もなく二十年になろうとしました。この間、郡の人々は淳の功徳を褒めたたえ、その功績を石碑に刻み、生きながら神のように崇め又慕いました。

 国王も淳の業績を喜び、更に領土や爵位を賜り、宰相の地位まで与え、周弁と田子華の政治的な功績も大きく、二人の名前も広く知られ、国王と淳の二人に対する信頼も厚く、次々と昇進して行きました。

 そして淳夫妻は、五男二女に恵まれ、息子たちや、娘たちはきちんとした教育のもと、それぞれ立派に成人しました。息子たちは重要な官職に就き、娘たちは王族の家に嫁ぎ、家族は南柯郡の輝かしい一族として、槐安国の中で比べるものがない存在で知られるようになりました。                                                                                                                                                                                              (続く)
                                                                    


                         
 *


                         TOP