'



  媛媛講故事―60

怪異シリーズ 29          南柯太守の夢 Ⅴ

                                 何媛媛


【前号まで】唐の貞元(紀元785~805)時代、淳于棼という人が酔い潰れ庭の大きな槐の木の下で眠っていると、槐安国の国王から迎えが来て、槐安国・国王の次女と結婚した。その後、国王から南柯郡の太守となることを命じられた淳は、友人二人と共に南柯郡の治政に当たった。善政を敷いて人々に慕われ、子供達もそれぞれ成長し、順風満帆の日々を送っていた淳だったが…讒言によって自分の故郷に戻る事になった。

                            ************************

 淳は微かに目を覚まし、ぼんやりとあたりを見まわしました。目の前には、懐かしい景色がひろがっています。曾て可愛がっていた犬は気持ち良さそうに中庭でひなたぼっこして、二人の友人がのんびりと将棋を指しています。家人達は忙しく庭の掃除をして、槐は相変わらず青々とした葉を茂らせ、枝に群がった雀がチチチ・チチチと鳴いています。更に奥に進んで行くと、東壁の窓際には杯を並べた食卓が見え、卓上には飲み残した酒もまだ暖かく恰ももうすぐ誰かが戻って飲み続けるかのような雰囲気でした。

 「あれ!?」

 もっと吃驚したのは、庭に面した廊下の長椅子に横たわってうとうとしている人は自分自身ではありませんか! そうです、それは紛れもなく二十年前の自分なのです。髪の毛はまだ黒々とし、顔は皺一つなく若々しい青年だった頃の自分なのです。しかし青年を見下ろす自分は白髪頭となり顔も皺だらけになってしまっています。

 そうです。そうなのです。自分はここに戻って来るまでの二十年間にいろいろな出来事がありました。栄躍栄華を極め、辛酸を嘗め尽くして戻ってきたのです。それらが淳の頭の中に鮮やかに刻ざみ込まれ容易に消せるものではありません。

 淳は若い自分の姿を前に、昔の懐かしい事柄がまるで昨日経験したばかりのことのように一つ一つ胸に涌き上がって来ると同時に、20年間の様々な経験の末、再び原点に立ち戻った事に深い感慨を覚えるのでした。

 と、その時、

 「淳!もう大丈夫か?」

 と友人が淳に呼びかけている声が聞こえてきました。今度はすっかり目が覚め、頭もすっきりし椅子からさっと立ち上がりました。目はすっかり覚めましたが、淳はしばらくの間、夢と現実の間を漂っているような気分でした。その日淳は、確かに昼から友人と酒を酌み交わしながら詩や歌や音楽を楽しんでいました。その内眠くてたまらなくなり、いつの間にか椅子で寝てしまっていたのです。

 今は太陽が西に傾きかけているところなのでさして長く寝てはいないように思えるのですが、寝ている間に不思議な夢を見ていたようです。しかし、その夢の、20年に亘る歳月の間に起った幸せな事や悲しかった事は心の深くに刻み込まれており、決して夢などではないと思えるのでした。

 淳はそこに一緒にいた二人の友人にその不思議な夢を話しました。友人たちは淳の話を興味深く聞いていましたが、その一人が、

 「本当に不思議な夢だな。その槐の木の洞には、何か怪しいものがあるのかもだ。探してみようか」

と言いながら槐の木に向かいました。槐の木の根元に大きな深い洞があります。淳は言いました。

 「夢の中で馬車に乗って確かにこの洞を通り抜けたよ」

 「掘ってみようか」

 友人が下人にスコップを持ってこさせると、その穴を掘り始めました。

落ち葉を掻き分けて、地面を掘ってゆくと間もなく、びっくりさせられるような大きな蟻の巣が現れました。それは立派な蟻の巣です。いかにも蟻の大きな王国のようです。四方八方に伸びる道筋、赤い土で築かれた階段、その階段の上には高台が広がり、その高台に見事な城が築かれて、何万匹もの蟻が忙しそうに行ったり来たりしています。そして、その城の真ん中で、白い羽と赤い頭の、体の大きな蟻が2匹、偉そうにのんびりと何かを食べています。

 「ほう!これは蟻の国王とお妃だろうか。だとしたら、この城は間違いなく槐安国国王の城です」

 淳は興奮して言いました。

 更に、槐の樹を良く見ると、南へ伸びた枝の1本の芯の部分が空洞になっていて、沢山の蟻が出入りしているのに気付きました。淳が近寄って中を覗いてみると、家々や、道路や城壁、河などいずれも淳が見慣れた懐かしい景色です。

 「ほら、ここは私が管理した南柯郡に違いない。「柯」というのは枝という意味だ。この枝は南へ伸びてるじゃないか。間違いなく、ここが南柯郡だ!」

 と淳が高ぶった声で言いました。

 三人は用心深く更に土を除いて、くねくね曲がっている木の根に沿って東へ行くと雑草が生えているところに小さな尖った土の山が現れました。それを見ると、淳は顔が曇って来ました。

 「これは妻のお墓ではないか? 此処は木の根が長く伸びて曲がり景色のいい場所なので盤龍岡といい、私はそこに妻を埋葬したのだ」

 友達と一緒に淳は南柯郡で狩猟をした場所、戦争をした場所、敵国の場所などを一つ一つ見つけることができました。南柯郡の記憶は、夢の中のできごとだとしてもどうしても真実のように懐かしく思い出されます。三人は結局、その蟻の巣を破壊しないように用心深く元のように土で被いました。

 その夜の真夜中、雨がざあざあと滝のように降り注ぎました。淳はなかなか眠れなく、蟻の巣が雨で流されるではないかと一晩中心配しました。翌日早く起きると、すぐ見に行きましたが、蟻の巣は一部流されたものの蟻の遺体は全く見つかりませんでした。淳は南柯郡で出逢った天象を見る役人が「国に大きな災難がもうすぐ起こる。その災難で都を移さなければならない」と言っていた事を思い出し、恐らく雨の前に既に安全なところに引っ越したのではなかろうかと考えました。

 「そうか、これがその災難だ!天象を観察する役人の預言は的中したようだ。予言を聞いて都を別なところへ移したのならきっと大丈夫に違いない」

 淳はそう思って安堵しました。そして、淳は槐の木の洞の前で長い間佇んだまま色々当時の思い出に浸るのでした。

 「この洞の中には私の美しい妻,可愛いい子供たちがいた。高い地位にあり権力もあった、富貴の生活をも過ごした。しかし、結局は無実の罪に陥れられて、まるで暴風雨で一切を失ってしまったようだ。槐安国での20年間は、今の自分にとっては事実でもあり又まるで短い幻夢のようにも思える。今、自分は夢から現実の世界に戻ってきたが、この人生も同じではないか。この世でもすべての栄躍栄華は幻のようなものにすぎない。人生は素早く過ぎ去るものだ」

 淳は考えれば考えるほど空しい気持ちになり、翌日、髪を剃って出家し山にこもりました。そして三年後、淳は人生の旅を終え、穏やかに世を去りました。その年はちょうど丁丑年になり、槐安国での手紙で父親と約束した年でした。           (終)

                                                                    


                         
 *


                         TOP