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  媛媛講故事―70

怪異シリーズ 39    「和氏璧(かしのへき)の伝説」Ⅳ

                                 何媛媛

 前回では、楚の明君である文王が即位して、卞和の話を信じて原石を割ったところ果たして前代未聞の素晴らしい宝玉が現れ、楚国は天下一の宝物を獲得しました。文王はそれを「和氏璧」と名付け、以来「和氏璧」は楚国の鎮国の宝として代々伝えられてきました。

 四百年の後、戦国時代になって、楚国は威王が即位しました。ある日、威王は大きな華やかな式典を開き、「和氏璧」を令尹の昭陽将軍に賜ることにしました。令尹という役職は、春秋戦国時代の楚国の官名で、国の政務や軍事の最高決定権力を握る楚国の最高長官を指します。昭陽将軍は、楚軍を率いて魏国を破り越国を滅ぼし、楚国の領土を拡大し軍事力を強め、春秋戦国の四方の国々へ楚国の威名を轟かせました。昭陽将軍は楚のために赫赫たる戦功を立てた大功労者なのです。

 そこで威王は昭陽将軍の功労に報いるために、「和氏璧」という代々伝えられた国の秘宝を賜るという式典を催し、昭陽将軍に言いました。

 「そなたは国のため大変な功績を立てた。これからも、国の諸々を君に頼ることになろう。この楚の国宝をしっかり守って、楚国のために力を尽くして欲しい」

 昭陽将軍は、恭しく貴重な宝物を威王の手から授かり、感動に声を震わせて威王に誓いました。

 「大王様、私は将軍の務めとして、やらねばならぬことを為したまでです。にも拘らず、このような大きな栄誉を頂き、身に余る栄光と存じます。私は必ず大王様の期待に背かぬよう、大王様と国のために、最後の最後まで我が忠誠心のありったけを以て尽くします」

 国の宝物を恩賞として授与された昭陽将軍を羨やむ人がいれば、妬む人もいます。しかし、昭陽将軍は和氏璧をまるで神を守るかのように愛おしみ自分の命よりも大切に扱い、他人の目に容易に触れさせないようにして厳重に自宅の奥深く保管していました。そして嬉しいことがあった折や深い悩みごとにぶつかる度に、和氏璧に自分の心の内を語りました。

 さて、そんな風にして時が過ぎ、昭陽将軍が和氏璧を得て早や一年になりました。ある日、昭陽将軍は威王と国事を相談し終えて退室する前に威王に言いました。

 「大王様、お願いが一つあります。和氏璧を頂いて間もなく一年になります。この間、周りの親戚、友人、同僚たちからいつも「和氏璧」を鑑賞させて貰えれば、自分たちにとってこの上もない光栄だと言われ続けています。丁度一年になるのを機に、我が城で宴を開き、人々を招待して「和氏璧」を皆に披露して、楚国の国宝の素晴らしさを見て頂くのはどうかと思っております」

 威王が答えました。

 「良いとも。我が国が誇る宝物を皆に見てもらう機会にしよう」

 昭陽将軍は威王の承諾を得ると、赤城で盛大且つ華やかな宴会の準備を始めました。赤城とは、楚王の行宮でもあります。赤城の周りを青々とした山々が囲み、それらの山々には珍しい草花が一年中咲き誇り、珍らしい動物も出没するという実に美しい景勝地であり避暑地でもあります。山の中には大きな深い湖があり、木々の影を映した湖水は透き通り、様々な種類の水草が生えて色々な魚が生息しています。・・・その湖のほとりに面して金色に輝やく眩いばかりの楼閣が建ち、ひときわ人の目を惹いています。

 一ヶ月の準備を経て、いよいよ宴会が開催される日になりました。将軍の友人たちや親族一同、そして同僚たち約100人が、豪華な馬車に乗って次々と赤城に着くと、湖畔の楼閣の宴会場に入りました。楼閣を巡る縁側に立つと、遠くには蜿蜿たる山々が連なり、眼下には青々とした湖水が広がっています。えも言われぬ美しい風景を目前にして、人々はそれだけでも陶酔するほどですが加えてその日は、楚国の希世の宝物を見せて貰えるのだと思うと、楼閣に集まった誰しもがわくわくと天にも上る気分になっていました。

 いよいよ宴会が始まる時間になり、皆は宴会の座席につきました。後はご馳走を待つだけでしたが、将軍は一つの席が空いているのに気づきました。そうです。きっと誰かが体の具合が悪くて、来られないのかもしれません。もう一人招いてこの席に着けば、用意した100の席が満席になり、華やかな宴会は円満になるではなかと将軍は考えました。

 昔、貴族や、身分の高い人の家は、門人を養う風習がありました。当日は将軍家の門人たちが多数、この宴会を準備するために来ていました。将軍はあれこれ考えた末、門人の一人である張儀を呼ぼうと決めました。張儀は将軍の家に来てまだ長くはありませんが、戦国時代の有名な思想家・鬼谷子の弟子といわれ、大変な学問と謀略の持ち主です。「そのような門人を紹介できれば、自分としても鼻が高い」と将軍は考えました。

 宴会が始まりました。豪華な料理や美味しい酒が次々と運ばれて来て、宴席の人々はそれぞれ食べたり飲んだりしながら、宴会の一番重要な時刻を待っていました。そしてとうとう、その時が来ました。昭陽将軍は「和氏璧」を入れた箱をしっかり持って人々の前に出ました。そして箱の蓋を開け、「和氏璧」を幾重にも包んだ絹の布を一枚一枚とほどいてゆきました。最後の布が解かれると言葉では何とも表現できないような白く眩い宝玉が皆の目の前に現れました。

 将軍が言いました。

 「皆さん、今日はとても素晴らしい日です。私は一年前に大王よりこの楚国の最高の宝物「和氏璧」を下賜されました。然し「和氏璧」は本来楚国のものですから、この席を設けて皆さんに披露する機会としようと思います」

 人々は伝説の宝物が目の前に出されたと聞いて、総立ちになり我先に鑑賞しようと騒ぎ立てました。将軍は「皆さん、争ってはなりません。これから宝玉を順番に回してゆっくり皆さんに見てもらおうと思っています」と告げ、自分の近くの一人に「和氏璧」を手渡して順に回すように指示しました。

 和氏璧は手から手へと手渡されました。誰しもよくよく眺めていたいと思い、自分のところに来た和氏璧は、手放したくなく、ゆっくりした時間の中で手渡されてゆきました。

 とその時、天気が突然急変し、黒い雲がごんごん広がると楼閣を囲む森から、身に沁みるような冷たい風がヒュウヒュウと吹き始め、あっという間に大粒の雨がざあざあと降り始めました。そればかりか、先ほど鏡のように静かだった湖水は奇妙な力で掻き回されているように、みるみる内に高く湧き上がり始めました。さらによく見れば、なんと水中にはこれまで誰も見たことのないような大きな金色の魚が、たくさんの五色の魚に囲まれてぴょんぴょんと次々高く跳び上がっているのです。宴に参加していた人々はこの目の前の風景に呆気に取られて呆然と見とれました。

 「ほら!あの金色の大魚は伝説に聞く魚の神様じゃないか!

 誰かがそう言うと、人々は殿内を離れ、楼閣の縁側に駆けつけて湖の奇観を見に行きました。激しい雨が降り、強い風が吹き荒れ、湖の魚が跳びはねるというこの奇怪な光景が暫く続くと、突然嘘のように風が止み、雨が止み、湖も静まり返りました。

 人々はワイワイ議論しながら殿内に戻り、席に着き、再び杯を手に酒を飲みながら和氏璧の鑑賞を続けようと思いました。しかし、長い間待っても、和氏璧は回って来ませんでした。

 「将軍、わし等は宝物をまだ見ておらんぞ」

 「なに?さっき君たちが持っていたではないのか? 宝物を見たのを忘れたのか!」

 「そうだ。そうだ。さっきはどこまで回ったのか? 今は誰の手にあるのか」

 人々は騒ぎ始め、互いに手を広げて見せたり、頭を振りあったりするばかりで、「和氏璧」は忽然と消えてしまったのです。人々を見回す昭陽将軍の顔は段々真っ白になって行きました。

 「誰が大胆にも、楚国の宝物を盗もうというのだ!誰か来い!今から、誰もここを出てはならない! 一人一人の身体検査をしろ!」 (続く)


                                                                    

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