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  媛媛講故事―71

怪異シリーズ 40    「和氏璧(かしのへき)の伝説」X

                                 何媛媛


 前回では、楚国の最高長官である昭陽将軍は、その功績により楚王・威王より賜られた「和氏璧」を皆に披露しようと華やかな宴会を催しました。ところがその宴会の最中に天気が急変し、湖水から伝説の金色の大魚が飛び出しました。人々が縁側に出てその様子に見とれている間に、楚国の宝である「和氏璧」が行方不明になりました。

 昭陽将軍は激怒し、いら立って、

 「会場にいる全員、ひとりひとり身体検査しろ! 検査で嫌疑の余地のないものだけが会場を出られる」

 と命令しました。

 長い時間を掛けてひとりひとり丁寧に身体検査を進め、会場の人数が減って行き最後に、将軍の門人である張儀一人だけが残りました。

 宴会に出席した人々は皆身分の高い豪族や金持ちばかりです。張儀だけが貧しい出身で、身分も低い人でした。将軍は張儀の顔をじっと見つめて、もう検査の必要はない、間違いなくこの人物が盗んだと思い込んだ昭陽将軍は厳しく問い詰めました。

 「お前が盗んだのか? お前は学問もあり才能豊かな人物という名声を得ているのにこのような盗みをするのか!?」

 張儀は

 「将軍、私は国宝を盗んではいません。私は、生まれが卑しくとも、育ちが貧しくとも、そのような卑劣なことは決してしません!」

 「今頃になって何を言うか! 客の99人は無実がはっきりして帰っていった。残りはお前だけではないか。誰かいるか! この者を白状するまで鞭で強く打ってくれ!」

 二人の兵士が張儀を囲み、太い鞭を高く振り上げて強く張儀を打ち始めました。

 張儀は血まみれになりながらも目と唇をしっかり閉じ、声一つさえも出しませんでした。

 昭陽将軍はますます気荒く、

 「言え! 国宝をどこに隠したのか! まだ言わないか。続けて打て!」

 二人の兵士が打ち続けていると、ついに張儀は気を失ってしまいました。

 「将軍、これ以上打ち続けたら、この者は死んでしまいます」

 「ひとまず、このまま様子を見よう。会場の隅々までもう一度丁寧に調べてみるのだ」

 昭陽将軍はいろいろ捜査の手配をして急ぎ都城へ帰りました。

 部下たちは長い時間を掛けて建物の中をくまなく探しましたが得るものなく、一方張儀も言葉を発することもできない瀕死の状態でしたので、将軍の部下たちも報告の為都城へ帰りました。

 騒ぎが落ち着き、会場を片付けるために老人が来ました。その老人は張儀の様子を見て、まだ生きていると確認すると、水を飲ませたり、傷を手当てしたりした後、馬車で都城の張儀の家まで送りました。

 昭陽将軍が落ち着いてよく考えて見れば、張儀は、どうも容疑者らしくないと思われ、張儀を再び責めたりせず、千両の黄金を懸賞金として「和氏璧」の消息を求めました。しかし、「和氏璧」はそのまま行方不明になってしまいました。

 張儀は家で受けた傷の療養をして、半年後ようやく動けるようになりました。張儀はもう楚国に滞在したくないと考え、妻を連れて、自分の出身国である魏国へ帰りました。その後、豊かな学識と才能を持つ張儀は昔の先生、鬼谷子の門下で一緒に勉強していた親友の蘇秦の助けによって、秦国に推薦され、その才能を秦王に認められると重用されて最終的に秦国の宰相になりました。

 張儀は秦国の宰相になると、楚国の昭陽将軍に手紙を送りました。

 「昔、将軍が「和氏璧」を失くした時、私に無実の罪を着せ、私を死ぬ程鞭打った。今私は秦国の宰相になったが、まだ私を疑っているか。それならいつか私は楚国の城を盗もう。気を付けるがよい。自分の城をよく見守っておれ!」

 今や秦という大国の宰相となった張儀の手紙に昭陽将軍は、落ち着かない日々を過ごすのでした。しかも、折も折、楚国の威王が亡くなり、懐王が即位しました。懐王は、張儀の事件を耳にし、昭陽将軍を呼んできつく問い質しました。

 「張儀は、才能ある謀略家と世間で知られているではないか。我が国に引き留めておくべきであった。何でこのような逸材を秦国に追い込んでしまったのか。そうでなくとも強大な秦国にこのような人材がいるというのは我が国には脅威でしかない!」

 昭陽将軍は国宝をなくし、張儀の威嚇の手紙を読み、また大王の責めもあって鬱鬱と楽しまず、終には病気になり死んでしまいました。

 さて、時はさらに40年余り経ちました。

 「和氏璧」の披露の宴が開かれた赤城から北、10キロぐらい離れたところに小さな村がありました。この村は赤城の湖に繋がる川のすぐ岸にあります。

 ある日の早朝、見たことのない、しかも、とてつもなく大きな魚の死骸が川に浮かんでいるのを村人が見つけました。村民たちは力を合わせてそれを引き上げました。そしてこれ程立派な魚を捨てるのはもったいないと思い、皆で分けて食べようと考えました。ところが解体してみると魚の腹には若い女性の遺体があります。

 女性の遺体の皮膚は真っ黒になっていましたが、顔つきや服装に見覚えがあり、

 「あれ! これは村の林家の嫁じゃないか!」

 「皮膚がこんなに真っ黒になって、毒薬でも飲んだか」

 と人々は色々考えました。

 実はこの女性は日頃から、姑に虐められ、前夜、ついに耐えきれずに自殺しようと毒を飲んで川辺を歩いていましがが、毒が効きはじめ川に転落したのでした。ちょうどその場所辺りで泳いでいた大魚が遺体をまるごと飲み込んでしまったのでした。大魚も女性の毒の効き目で死んでしまいました。

 大魚が死んだ原因が分かった人々は、魚を食べることは諦め、深い穴を掘って魚を埋めようとすると、その魚から白い光を放つ美しい石が見つかりました。何だろうとみんなが不思議に思って見とれていると、見物人の中から、旅人姿の老人が口を挟みました。

 「それは魚の骨だ。奇麗な骨だね。わしがお金を出すからその骨を売って貰えないだろうか」

 実は、その老人は莫存という、楚国の宮廷で玉工をしていました。長年、仕事をして歳も取ったので、それまでに貯めたお金を持って自分の古里である趙国へ帰る途中でした。ちょうど村民達が魚を解体しようとしているところに通り掛かり、その様子を楽しく見ていると、なんと村人たちが、美しい光を発する石を見つけました。

 老人は「魚の骨」だと言いましたが、それは決して魚の骨などではなく、まさに消息が絶えて既に40年あまりの「和氏璧」だったのです。幸い、その場では玉に詳しい人間は自分しかいません。老人は即座にこの宝物を自分の国・趙国へ持ち帰ろうと、お金で交換することを提案したのでした。

 村民たちは老人が「魚の骨だ」とはっきり言ったので自分たちには無用の物と思い、相談し合って老人に譲り渡しました。

 そもそも、「和氏璧」はどうして大魚のお腹になどあったのでしょうか。それでは、あの40年前に赤城で行った盛大な宴会に戻りましょう。

 当日の参加者の中に、国の元老であり、皇族の一員でもあった人がいました。その人は嫉妬心が強く、昭陽将軍が「和氏璧」を賜られたことをずっと不満に思っていました。あの日、「和氏璧」が自分のところまで回ってきた時、ちょうど大魚が湖から飛び出すという奇観に人々は驚いて縁側に駆けつけました。この元老はその騒ぎを利用して、「和氏璧」を自分の袖で隠して窓口からこっそりと大切な国宝を湖に落としました。「和氏璧」は暗いところでは一層綺麗な光を放つので、あの大魚はその光に吸い寄せられて飲み込んだのでした。

 「和氏璧」が大魚のお腹の中でどのくらいの年月を眠っていたのかそこにいた村人たちは誰も知りません。しかし大魚が死んで「和氏璧」は40年ぶりに再び日の目を見、この伝奇物語を続けることができるようになりました。(続く (続く)

                                                       
イラスト:満柏


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