媛媛講故事―73 怪異シリーズ 42 「和氏璧(かしのへき)の伝説」Z 何媛媛 【前回のあらすじ】 前回では、趙国の大宦官である妙賢が希世の宝物「和氏璧」を楚国で石工として働いていた莫存からを譲り受けました。妙賢は自分のものにしたかったのですが、その噂は趙国の恵文王の耳に入り、やむを得ず「和氏璧」を国に献上しました。そして「和氏璧」は長年の流離の運命を終え、趙国の国宝になりました。 ************ ********************* 趙国は「和氏璧」を得て半年後のある日、趙王の前に兵士が来て伝えました。 「秦国からの使者がご来訪されました」 趙王は吃驚しました。 当時は中国の戦国時代で諸国が覇権を争っていましたが、その中でも秦国は国力の一番強い国でした。それ故、周辺の弱小国は秦国に虐められることも多く怖れていました。ですから趙王は、秦国からの使者がいい知らせを届けに来たのではないと思いました。しかし会わないわけにはゆきません。礼を正して秦の使者を迎え入れました。 秦の使者は秦の昭襄王の書面を届けに来たのでしたが、実際、その手紙には 「最近、趙王は天下に知られた『和氏璧』を手にいれたと聞いている。秦の十五の城とその『和氏璧』を交換したいと思っている」 というような内容が書かれていました。 趙王は書面を読み悩みました。素直に璧を差し出せば、秦国は本当に十五の城を趙国に譲るのでしょうか。しかし、「和氏璧」を秦に差し出さなければ、秦国の怒りを買い、攻めてくる恐れがあります。 趙王は大臣たちと共に良い策はないものかと長い時間を掛けて議論しました。が、話はなかなか纏まらず、良い策も出て来ませんでした。 困り果てていると、趙国の大宦官である妙賢が趙王の前に進み出て言いました。 「私の家来に藺相如という智謀に長る、勇気ある男がいます。この者を呼んで良い策がないか訊いてみたらどうでしょうか」 「良い考えを持っていそうなら誰でもいいからその者の意見を訊いてみよう」 と趙王が答えました。そこで早速、藺相如を呼び寄せると趙王の前に連れて来させました。 「そなたはたいそう智謀に長けていると聞いた。秦国は十五の城と我が国の国宝「和氏璧」を交換しようと伝えてきたがどうしたものであろう。 「秦は強国です。趙国が秦国に太刀打ちできるとは思えません。『和氏璧』を秦国に渡さなければ災いが趙国を襲うでしょう」 「しかし、和氏璧を渡しても、城を得られない可能性があるであろう」 「その可能性は確かにあると思われます。しかし『和氏璧』を秦国に渡さなければ趙国の咎になります。和氏璧を渡して、秦が城を趙国に渡さなければ、秦国の咎になります。両者比べてみれば秦国の咎にする方が良いと思われます。秦国が約束通り『和氏璧』と城を交換しなかったならば『和氏璧』を持ち帰ることが肝心なところだと思います」 「良い策だが、しかし、誰が使者として行けば良いのか。そして城を貰えなかった場合どのようにして『和氏璧』を無事に持ち帰るというのか」 「大王の周りに適任者がいなければ私が秦に参りましょう。城を手に入れたら『和氏璧』は秦に譲ります。城が得られなかった場合は、必ず『和氏璧』を無事に持ち帰って参ります」 そこで趙王は藺相如を使者として秦に送りました。 秦に着いた藺相如は秦の昭襄王の広い豪華な殿上に迎えられました。 秦の昭襄王は藺相如と引見するや、「そなたは『和氏璧』を持参したのか。ならばさっそくその宝玉を朕に見せよ」と待ちきれないように催促しました。 藺相如は秦王の前に置かれた卓台に「和氏璧」が入った箱を置くと、秦王は直ちに自ら蓋を開き、「和氏璧」を包んだ絹の布を解(と)きました。そして宝玉が現れると、秦王は息を呑み目を大きく見開いてしばらくの間うっとりと「和氏璧」に見とれていました。 「秦王、『和氏璧』はいかがでしょうか」 と藺相如は「和氏璧」に見とれたまま無言でいる秦王に声をかけました。 「本当に素晴らしいものだ、確かに名声轟く希世の宝物だ。宮廷内のすべての大臣を呼び、共に鑑賞しよう」 秦王の命令が下り、大臣たちが続々殿上に詰めかけ「和氏璧」を囲んで鑑賞しました。 ようやく大臣たちが鑑賞し終わり、大臣たちの賛嘆する言葉が交わされている中、秦王は続けてさらに 「この宝物を後宮の王妃たちにも見せてやるがよい」 と命令しました。 藺相如は落ち着いてずっとそばで待っていましたが、秦王は大臣たちと「和氏璧」の美しさを語り合うことに夢中になり、藺相如の存在をすっかり忘れたかのように全く目も向けませんでした。 それからまた長い時間が過ぎて、「和氏璧」はようやく後宮から戻って来ました。 「王妃たちは何と言っていたか」 と秦王は訊きました。 「皆、口々に『和氏璧』の美しさをほめそやしておりました。そして、『このような天下一品の宝物の所有者は我が秦国にこそ相応しいものです』と皆がおっしゃっておりました」 「和氏璧」を持ち帰った者の言葉を聞いた大臣たちも、 「そうです。この宝物の加護があれば我が国は一層強大になります。国が強大であることは国民にとっての幸せでもあります」 「そうです。そうです。大王万歳!」 と言い合いました。 秦王は大層なご機嫌で「ハハハ」と高笑いし、「和氏璧」と交換するはずの城の話をするどころか、藺相如の存在さえすっかり忘れているようでした。そんな秦王の様子を見て藺相如は、秦王が城を趙国に譲る気持ちがないことが分かりました。藺相如は秦王の前に進みました。 「大王、宝玉に疵があります」 「どこにだ」 「私に宝玉をお渡しください。その場所をお教えいたします」 秦王は「和氏璧」を藺相如に手渡しました。すると藺相如は突然「和氏璧」を高く掲げて近くの柱に走って近づくと、怒り露わな表情で声を震わせ言い始めました。 「大王、ご覧ください。この柱の礎石を。今無理やりに私から宝玉を奪い返そうとされるなら、私はこの宝物を石に投げつけます。そうすれば宝玉はたちまち粉々に砕けるに違いありません。私はここに来る前に既に死を覚悟して参りました。しかし、私が命を絶つ前に私の話を聞いてください」 秦の時代は、王の命令が無ければ、武器を持って殿上に入ってはならない規則でしたので、兵士たちは宮殿の外から殿内の様子を見ているだけで、王の指示がない限り入れません。 秦王は「和氏璧」が砕かれるのを心配して、 「解った。そなたから力ずくで宝玉を奪うようなことはせぬ。そなたは一体何を言いたいのか。言いたいことがあるのなら言って見るが良い」 「大王は『和氏璧』が欲しくて、『和氏璧』を秦国の十五の城と交換しようと趙王に書面を出されました。我が趙王は家臣を集めていろいろ相談されました。趙国の家臣たちは、自分の強大さを頼んで常に隣国を虐げている秦国が、今、趙国の宝である宝玉を差し出して果たして十五の城を趙国に渡すだろうかと心配していました。そこで私は次のように趙王に申し上げました。庶民でさえ騙し合いは義に外れたこととされています。ましてや強大な秦国の大王が、璧の一つぐらいで天下の信用を失うようなことはなさらないでしょうと。趙王は私の話を尤もと思い、五日間の物忌みをして、体を清めてから、私を使者として『和氏璧』を届けさせました。それというのは、貴国の権威を尊重し、貴国に敬意を払うためでもあります。ところが大王は趙国の宝である『和氏璧』を貴国の大臣たちや王妃たちに鑑賞させた上、趙国の使者である私の存在を無視し、約束の城の話にも全くお触れになられません。いやしくも国使である私に対するこのような扱いは大王の傲慢さであり、ご自分が申し出られたことに対して誠意がないというべきでしょう」 「そなたに言われるまでもなく約束は約束としてきちんと守る用意はある。それでは地図を持って来させて趙国に譲る十五の城を教えてやろう」 秦王は大臣に地図をもってこさせると、地図のあちこち指して説明しました。しかし、その説明には心がこもっていると思われませんでした。 藺相如はまた一策を申し出ました。 「分かりました。秦王が本気で宝玉を受け取ろうとおっしゃるのでしたら、我が趙王と同じように真剣に五日間の物忌みをされ、それが済んだ後で盛大に交換式を催すべきだと思います。それまでこの宝玉は私が保管させて頂きます」 秦王はどうしても「和氏璧」を手に入れたいと思っていましたので、今は藺相如の話に従わざるを得ず、藺相如と「和氏璧」を宿所へ送り届けると、厳重に監視するよう兵士たちに命令しました。 秦王は藺相如が言ったとおり、五日間の物忌みを始めると同時に盛大な儀式の準備を家臣に命じました。 ところが秦王の物忌みが終わり、儀式の準備も整った五日目の日、儀式の会場に藺相如が何も持たずにやってきました。その姿を見た秦王は 「なぜ手に何も持っておらぬのか。「和氏璧」はどうしたのか?」 と聞きました。 藺相如は落ち着いた態度で答えました。「強大な秦国に比せば趙国は弱小国です。秦国が間違いなく十五の城を趙国にお渡し下さるならば、趙国が「和氏璧」を差し上げない筈はありません。しかし私が見るところ、秦王は「和氏璧」だけを欲しがっており、趙国に城をお渡し下さる誠意が感じられません。そのような訳で私は「和氏璧」をこっそりと趙国へ送り返しました」 そして胸を張り堂々と続けました。 「大王の選択は、私を殺すか若しくは十五の城を趙国に渡して「和氏璧」を入手するのかいずれかになりましょう。私は大王にその選択をお任せするのみです」 秦王は大層怒り、藺相如を殺そうと思いました。しかし、天下に笑いの種を蒔くことになることを恐れ、また藺相如という人物にも心を打たれ、最終的に藺相如を放免しました。 これが「完璧帰趙」という熟語となり今も伝わる物語です。 史書では、「和氏璧」は結局、強大な秦国のものになりました。しかし、その流浪の運命を逃れることができず、戦乱続く混乱の時代、覇者が入れ替わる中で「和氏璧」はころころとあちこちに流転して、後唐(紀元923〜936年)の時代にとうとうその姿は見失われ、今も謎のままになっています。(終わり) イラスト:満柏 ************ ****************** 前に戻る TOPへ |
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