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媛媛講故事―79

怪異シリーズ 48         狐の結婚          


  清の時代の物語です。

 山東省歴城官庁の吏部(官吏の任免などを管理する官庁)の長官に殷士澹という人物がいました。彼が若い頃、家は貧しかったのですが、彼自身は豪胆で有名でした。

 殷士澹が住んでいる村に古い屋敷がありました。広大な敷地に立派な建物が数多く建つ美しい庭園式屋敷で、庭を眺めたり休息の為の亭台楼閣があちこちにありました。この屋敷の元々の主は友人が多く、人々が見学に訪れたり、宴会や飲み会などで集うことも多くとても賑やかな屋敷でした。

 しかし、その家族の長老である主が亡くなり、だんだんに家運が傾いて屋敷を訪れる人も少なくなるにつれ、いつしか屋敷の佇まいが寂しくなって来ると怪しい事件が度々起こるようになりました。そして、幽霊やら、鬼やら、狐やらなどが住んでいると噂されるようになりましたので、その屋敷の家族も怖がって住まなくなり、終に廃屋同然になってしまいました。

 そのまま年月を経て庭には雑草が生い茂り、屋内には埃が積り、部屋には蜘蛛の巣がかかり、窓も、戸もぼろぼろに朽ちて、夜は勿論、昼さえも訪れる人がなくなりました。

 ある日の夕方、殷公が友人達と酒を飲んでいると、その仲間の一人が冗談ぽく言いました。

 「だれか肝玉のある奴はいるかな。あの屋敷に一晩泊まれたらご馳走するからさ」

 それを聞いた殷公は素早く立ち上がり

「そんなことは容易ことだ。俺がやってみよう」

 と言うと、蓙を一枚を持って屋敷に向いました。

 友人達も屋敷の玄関までついて来て、冗談半分で

 「俺たちは外で待ってるよ。何かあったら大声で呼んでくれ。応援に駆けつけるよ」

と言いました。

 殷公は屋敷の門をくぐりながら

 「待っていたまえ。化け物を捉まえたら、皆に見せてやるわ」

 と言い、庭の奥へ進んで行きました。

 庭には、ハマスゲが道を遮るように繁り、よもぎは人の背よりも高く生え茂っています。屋敷の奥へ行けば行くほど周りはしんと静まり返りだんだん寂しくなってきました。夜の帳が段々に下りてくると折しも上弦の月が昇って来ました。その明かりを借りて道筋を見分け足下に気を配りながら用心深く歩き、時には手探りしながら幾つもの建物を通り過ぎると、とうとう最奥の一番高い亭台楼閣に辿り着きました。

 きっと高いところは景色が良いだろうと考えて、殷公は階段を昇りました。上るにつれて視界が広がり、月の光りに照らされた庭園の全望が目に入りました。その景色を見ている内にやっと気持ちが落ち着き、蓙を敷いて長い間座っていましたが、怪異らしいことは何も起こりません。「世の人は噂話を信じて本当だと思うからね」と殷公は心の奥でつぶやきひとりで笑い、そして横になって仰向きになって澄んだ夜空に輝く星を眺めました。

 夜がどんどん深くなり、二更(午後11時)になった頃でしょうか、階下に靴音がして、何者かがガタガタ登ってくるような気配がします。殷公は寝た振りをしてそっと足音のする方を盗み見すると、蓮型の提灯を手に提げた若い女性が現れ、その女性が殷公を発見すると、驚いた様子で振り返って後ろの人に報告しました。

 「知らない人がいるわ」

 階下から訊ねる声がした。

 「誰じゃ?」

 「見たことない人ですよ」

 と女性が答えている間に、一人の老人が上って来ました。老人はじっと殷公の顔を見つめて言いました。

 「このお方は殷長官だよ。ぐっすり寝込んでおられるから、私たちもそっとしておいて差し上げよう。長官は洒脱なお方でいらっしゃるから、私たちを見ても咎めることはなかろう」

 そういうと、階下に向かって手を振りました。召使いと思われる人たちが物を運んでぞろぞろ楼閣に上ってきました。楼閣に明かりが灯され昼間のように明るく輝き、行き来するものはいかにも忙しなげに何かを準備しているように見えます。
 殷公は寝返りを打って、「くんくん」と咳をしました。老人は咳に気が付いて殷公の傍に来、殷公が目覚めたことを知るとすぐ跪いて言いました。

 「お休みのところをお邪魔申し上げ恐縮に存じます。実は、拙者には年頃の娘がおり、今夜、結婚式を挙げます。ここでお休みの貴人がいらっしゃるとは存じ上げませんでした。どうかお許しください」

 殷公は立ち上げると、跪く老人を引き起こして言いました。

 「いや、今夜がそんな目出度い日だとは思ってもみなかった。祝の品も持っておらずお恥ずかしいことです」

 「今夜あなた様のような貴人が宴にご臨席賜ればとても光栄なことです。お差し支えがございませんでしたらご列席いただければ大変幸運と存じます」

 殷公は喜んで老人の招きに応ずることにしました。楼閣の広い部屋に入って見ますとそこは美しく飾り整えられています。あちこちを見て回る内に音楽が賑やかに始まりました。

 走って来た者が

 「新郎が着きました!」

 と大きな声で知らせました。

 殷公が声のする方を見ると、絹張りの提灯を手にした一団が、十八才前後かと思われる新郎を導いて庭に入って来ました。眉目秀麗な若者です。老人はその若者が席に着くと貴賓席の殷公に挨拶するよう命じました。そして、自分も他の客に礼儀正しくお礼を述べました。宴席に集まった人々がようやく席に落ち着くと、美しく化粧した女性達の列が続々と現れ、客に酒やお茶を勧めました。食卓には様々なご馳走が一杯並べられ、玉、金、銀の食器が輝くばかりでした。

 あちこちで酒を酌み交わしてから老人は娘を連れてくるようにと侍女に命じました。侍女が奥へ入ると、間もなく藍麝の香りが漂い始め、シャランシャランと帯玉の音を立てながら、数人の侍女達に囲まれた若い女性がゆっくりしなやかに現れました。身に付けているものは衣装も装身具も世間でなかなか見られないような高価で素晴らしいもののように思われましたが、その娘の顔立ちは端麗に整い、しかも華やかで、この世の女性と思われないほどでした。老人は花婿に命じたように、娘にも客に礼をするように命じました。

 宴席の人々は黄金の杯を高く持ち上げ、目出たい言葉や祝福を込めた言葉、娘の美しさを褒めそやす言葉などを口々に言い合い、宴は暖かく賑やかに始まりました。

 殷公は黄金色に輝く杯を持って、なん杯も飲んで、この場をこの目で見た証拠として、友人達に見せようと、秘かに金の杯を袖の中に隠し入れました。そして、酔った振りをして、食卓に凭れかかっている内に深く寝入ってしまいました。(続く)



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