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媛媛講故事―81

怪異シリーズ 50        労山道士      

 昔、ある村に王という若者がいました。名前ははっきり分りませんので、とりあえず王生と呼びましょう。王生は少年の頃から道術に憧れていました。20歳になった時、山東省にある労山に仙人が沢山いると耳にしたので、荷物をまとめて労山に向かいました。

 山頂に登ると幽寂な雰囲気を漂わせた道観(道教の寺院)が建っていました。門をくぐり中に入って見ますと、一人の道士が敷物の上に座っています。道士の髪は真っ白で肩まで垂れ、見るからにとても歳を取っているのですが、若者のような顔色と体をしており、どことなく神秘的な力を秘めているような感じがあります。

 王生はこの道士の前にひれ伏して丁寧に挨拶の言葉を述べました。そして言葉を交わしてみると哲学的な道理や、大変霊妙な出来事などをいろいろ話してくれました。王生はすっかり感動し、この道士に弟子入りさせて欲しいと頼んでみました。

 道士は、

 「そこもとのような弱そうな身体では修業の苦労に耐えられないだろう」

 と言いました。王生は

 「大丈夫です。是非、道術を身に付けられるように頑張ってみたいと思っております」

 と答えました。道士は、「それではやってみるがよい」と承諾してくれました。

 その日の夕方、道士は門人たちを集めて王生に挨拶をするように言いました。王生は道士の門人たち、一人一人と挨拶を交わし、その日の夜から道観で泊まることにしました。

 翌朝、夜が明けると、道士は王生を呼んで、重い斧を一つ与えると、門人たちと一緒に薪を取ってくるよう命じました。王生は恭しくその命令に従いました。

 そして、その翌日も、また翌々日も同様に薪を取りに行かされました。

 「明日からは秘術を教えてくれるのだろう」と彼は思って頑張っていました。しかし、その後の一週間も、半月も同じことの繰り返しでした。「もう一息、我慢してみよう」王生は自分を励まし、歯を食いしばって毎朝のように薪を取りに行き続けました。しかし、そのまま一ヶ月が経ちましたが、道士は何も教えてくれる様子はありませんでした。王生は、手も足もマメだらけになり、その痛みは耐え難く、明日には家に帰ろうと毎晩のように心の中で思うようになりました。」

 このように過ごしていたある夜、外から道観に帰ると、師の道士が二人の客と酒を飲んでいました。日はとっぷり暮れていたのですが、室内は灯火を灯さず何やら不思議な雰囲気が感じられました。王生は窓ごしにこっそりその様子を見ていました。

 すると、道士はハサミで一枚の紙を鏡のように丸く切り、ペタっと壁に貼り付けました。それはまるで月そのもののように見えました。そしてしばらくすると壁に貼られた紙の月がまるで本当の月のように光を放ち始め、部屋の中は明るく照らされ、人間の髪の毛さえもはっきり見えるようでした。門人たちが用を言いつかって走り回っているのもはっきり見えました。

 客の一人が「今晩の月の素晴らしさを皆で思う存分楽しもうよ」と言うと、机の上の徳利を取って門人たちに渡し、「こころゆくまでたっぷり飲め。酔ってもかまわんぞ」と勧めました。

 王生は、七、八人も部屋にいるのに、ただ一本の徳利では足りないだろうと疑っていました。しかし、徳利がみんなの手を何度も往復し、その度に盃に満々と酒が注がれるのですが、徳利の酒は全くなくならない様子です。門人達は皆満足そうに飲み続けていました。

 他の客が「こんなに美しく輝く月の光を賜っているのだ。嫦娥でも呼ぼうではないか」と言うと、テーブルの上の箸を壁に貼った月に投げました。すると、一人の美女が月から現れ目の前に降りたちました。最初は小さな姿でしたが、徐々に普通の人間の大きさになりました。綺麗な衣服を身に着け、繊細な腰、端麗な顔立ちの、この世の女性には見られない美しさでした。そしてその女性は歌を歌いながら、軽やかに「霓裳羽衣の舞注)」を踊り始めましたが、その歌声は清らかに悠揚迫らず天空の果てまで響き渡るようでした。

 「わたしは今仙界にいるのでしょうか、人間の世界に下りているのでしょうか。或いは月の宮殿に戻っているのでしょうか」

 歌はそのように歌っているようです。

 歌と踊りが終わると、女性はくるくると独楽のように回り、パッと机に飛び乗るとあっという間に箸に変わってしまいました。道士と客の三人が嬉しそうに大声で笑いました。

 またもう一人の客が言いました。

 「今日は本当に楽しかったのう、けれど、すっかり酔ってしまって歩けないほどじゃ。誰かわしを月の宮殿まで見送ってくれるかのう」

 三人は席を立つと、壁の月に向かって歩み寄り、そのまま月の中へ入って行きました。月の中でも三人は腰をおろして飲み続け、まるで丸い鏡に映っているように三人の鬚も眉毛をもはっきり見てとれました。

 やがて壁の月の明かるさががだんだんと暗くなってゆき、門人たちが灯りを灯すと客の姿はなく道士が一人で座っているだけでした。しかし、テーブルには料理なども残っており、壁には紙の月がまだ鏡のように貼り付けられたままでした。
 道士は門人たちに訊きました。

 「十分飲んだかい」

 「はい、たっぷりいただきました」

 「満足したなら、早く休もう。明日の朝は薪取りに行かねばならぬ」

 門人達は各自の部屋に戻って行きました。

 この成り行きを一部始終見た王生は、羨ましく思い家に帰る考えを止めました。そしてさらに一か月が経ちました。けれども、道士は相変わらず道術を教えることはなく、薪を取りに行かせるばかりでした。王生は手足の豆の痛みが辛くてとうとう我慢出来なくなり、心を決めて道士に別れの挨拶をしました。

 「私は遠いところからはるばる仙術を習いに参りました。そして、ありがたいことに先生に弟子入りさせて頂きました。それから既に二、三か月が経ちました。長生の術を身につけることができなくても、簡単な術がなにか習得できれば、はるばる教えを求めてきた甲斐があります。けれども、先生のもとで毎日薪を取りに行っただけでは、家に帰って家族にどう説明すればいいのか悩んでいます」

 道士は笑いました。

 「やっぱり最初にわしが言った通り、苦行を辛抱できなかったのう。明日朝、誰かにお前を見送らせよう」
 王生は言いました。

 「先生に感謝申し上げております。けれど、私は長い間お仕えいたしましたので、せめてその褒美として何かささやかな術を教えて下されば、ここまで来た甲斐があると思います」

 「では、何を習いたいと思っているのじゃ」

 「先生が歩かれる時に、屋根や壁などがあってもそのまままっすぐに壁を通り抜けて行きます。私はいつもそれを羨ましく思っておりました。お願いできればその術を教えて頂ければと思います」

 道士は笑って承諾しました。そしてその秘訣を教えた後、呪文を唱えさせ壁をくぐりぬける練習をさせようとしましたが、王生は壁の前に来ると立ち止まってしまいます。道士は

 「さあ、入れ! 壁の中へ入ってみろ!」

 しかし、王生は壁の中に突き進む勇気がなく、ぐずぐずして入ろうとしません。

 「頭を伏せて、突っ込め! ためらうな!」

と道士は再三再四促しました。王生は思いきって、言われたとおり壁の数歩手前から目を閉じたまま突進して、すでに壁に達したと思いましたが、空を切って何の抵抗も感じません。しかし、目を開いてみると前に壁はなく、振り返ってみると、もう壁の外にいるではありませんか。

 王生は大喜びで、庭に戻って先生にお礼を言いました。

 先生は

 「家に帰っても身を清く保つのじゃ。そうでないと、神通力は消えてしまうぞ」

 と言い、王生に旅費を与えて帰らせました。

 王生は家に着くと、「仙人に会ってきた。目の前に硬い壁があっても通り抜けられるぞ」と吹聴して回りました。それでも妻は王生のいう事を信じませんでした。王生はそれならばと、妻の前で教えられた通りに、呪文を唱えながら壁から数尺離れたところから勢いよく壁に向かって突進しました。しかし、壁に頭がぶつかりバタンと倒れてしまいました。妻が助け起こして見ると、額に大きな瘤が出来ていました。妻は笑ってからかいました。王生はきまり悪そうにしながらも道士を罵り始めました。「老いぼれ道士め! 悪い奴だ! まるで詐欺師だ!」

 王生のこの話は笑い話になって今日まで伝わって来ました。(終わり)

▪注 霓裳羽衣の舞:唐代の宮廷楽踊り 

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