媛媛講故事―86 怪異シリーズ 55 蛇の恩返 Ⅲ 李元は心ここにあらずでいろいろ考えていると、竜王が重ねて李元に告げました。 「一家の感謝の気持ちとして、あなた様をおもてなししたく宴会を設けました。どうぞそちらへお出で下され」 案内人について広々とした部屋に入りました。見れば、あたりは金色や青色にきらめき、竜や鳳凰の形の明かりが灯され、五色の糸で刺繍された幔幕が巡らせてあります。得も言われぬ香りが漂い、宝玉で飾られた食器が並べられ、周りには絶世の美人たちが立ち並んでいました。 李元はあまりの豪華さにたじろいでいると、竜王が旁らの人に命じ、李元はその人に抱えられるようにして席に着かされました。丁度この時、妙なる楽の音が響き始め、数十人の女性たちが踊り始めました。李元の傍らにいる人が李元に酒杯を捧げ持たせるとお酒を献じました。李元はまるで夢の中を漂っているような気分でした。竜王が二人の息子に「謹んで返礼せよ」と命じると、王のふたりの息子がが酒杯を掲げ、李元に献杯の礼をしました。竜王は大臣達にも同様に命じ、大臣たちも代わる代わる杯を捧げては李元に乾杯を促しました。 李元は乾杯の返礼をしなければ失礼だと思い、促されるままに次々に飲み干して、終に大酔いしてしまいました。もうこれ以上は無理と思い、竜王に「わたくしは本当はお酒に弱いので、もう下に倒れてしまいそうです」と告げました。竜王は侍従に李元を介添えさせ客間に戻して休ませました。 李元が酔から醒めた時はもう陽の光が明るく射していましたので、驚いて起き上がり周りを見回しますと日頃と異なる華やかな部屋で寝ていました。傍らのお付きの者は李元が目をさましたのを見ると、すぐ服を着せ、口を漱がせるなどこまごました世話をしてくれました。身支度が整った頃、竜王の上の息子である朱青年がやってきました。お互いに朝の挨拶を済ませると朱青年は李元を連れて竜王が待つ部屋に行きました。 李元は竜王に言いました。 「昨夜はすっかり酔ってしまい失礼申し上げました」 「いいや、何のもてなしもできず、どうかご容赦くだされ。お差支えがなくば、ここで4、5日、ゆっくりご滞在されてはいかがじゃの」 「ご厚情を賜わり有難く存じます。しかし、私は父の命により、古里に帰り、母の面倒を見なければいけませんし、春の試験も迫って来ております。昨夜、下人にも告げずこちらに来てしまいましたので、彼等も心配していると思います」 「そのような事情なればお引止めは致しますまい。大恩の返礼にはなりますまいが、なにか望みのものがあれば、何なりと申すがよい」 「お心遣い有難うございます。しかし、日頃から私は秤心(思う通りになる、意に適う)を得られる日々であればそれで十分だと思っております」 「そなたが娘を妻にほしいとの望みならばそうしよう。ただ3年経ったら私のもとに返していただかねばならぬがの」 竜王はそう言いながら、侍従に 「我が娘の秤心を呼んで参れ」 と命じました。李元はびっくりしました。 「竜王様、私は何も頂きませんと申しましたが…」 「先ほどそなたは「秤心」を望んでいるといわれた。私には秤心という娘がおるのじゃ。そなたの許に嫁がせよう」 李元は慌てて、 「私が秤心と申し上げたのは、試験に及第しさえすれば、私の望みがかなうという意味でした。どうして王女様を妻になどと望めましょう」 「娘は幼名を秤心と申すのだ。すでにそなたへ嫁がせることと決めたからには破談は相成りませぬぞ。もし試験に及第することを望むなら、秤心に訊ねてみて下され。きっと良い結果が得られよう」 竜王は朱青年に李元と同道し妹を送っていくようにと命じました。李元は竜王に心からの感謝の気持ちを伝え、朱青年は旅支度を整えた妹を連れ、李元を案内して宮殿の前の、竜王の船が繋がれたところに戻りました。そして朱青年は妹に別れの言葉を告げると、李元に金品とみられる包みを渡し、次のように言いました。 「私の父親は西海郡の竜で、多くの功績を立てましたので天帝の勅命によりこの辺りを自分の領海とすることが許されました。幸いこのあたりの海は水清く、波も靜かで、子孫繁栄に打ってつけです。しかし、あなた様がお帰りになられましても、竜宮を訪ねたことは誰にも告げず、妹へも詳しい事はお尋ねなさいませんよう固くお約束下さい。さもないと大きな禍があなた様に降りかかることになりましょう」 李元は謹んで朱青年の話を聞くと、深々と頭を下げ御礼の言葉を伝えると船に乗りました。竜王の船は、来る時と同様に空を飛ぶような感じで波を蹴立てて進み、瞬く間に古里へ帰る船のところに戻りました。 李元は竜王の娘・秤心を伴い自分の船に向かいました。下人の王安は驚き怪しみつつも黙って二人を船に迎えました。 「旦那様が一晩じゅう戻られなったので心配して随分尋ね回りました。しかし、どこにいらっしゃったのかさっぱり分かりませんでした」 「私は昔の友人に湖上で出会って一緒に酒を飲んで過ごした。そして、この娘をわしの嫁に下さった」 王安は子細を詳しく李元に尋ねることもなく船出の用意ができると出航し、帰郷の途に就きました。 李元は家に帰りつくと母親にいろいろ報告し、帰郷の途中、妻にした秤心を母親に紹介しました。母親は李元の美しい嫁を見ると大変嬉しく思いました。 ようよう以前の普段通りの生活に戻って間もなく、科挙の試験の時期を迎えました。李元は妻に言いました。 「竜王である父上がそなたを私の妻にされた時、『私が試験に及第したければ、そなたに訊いてみよ』と言われました。明日、私は試験を受けますが、何か知恵を貸してくれるのですか」 「私が今晩、先に試験の課題を取って参りましょう。あなたはその課題で文章を作り置かれ、明日その通りにお書きなさればいいでしょう」 「その課題をどうやって手に入れるのですか」 「目を瞑って術を使うのです。では、少々お待ちくださいませ」 秤心は部屋に戻ると固く戸を閉ざしました。間もなく風の音と共に簾も幕も巻き上げられるほどの強い風がしばらく吹き続きました。一刻あまり後、秤心は戸を開けて部屋から出てくると手にした紙を李元に渡しました。李元はその紙に書かれた課題について答案を作成しました。果たして翌日の試験場で出された課題は秤心が手に入れたものと同じものでした。 試験が行われた三日の間、李元はこのようにして前夜の内に準備を済ませて試験に臨みましたので、試験は順調に終了しました。 いよいよ発表となれば、李元は、当然ながら成績優秀で及第しました。 その後、李元は陳州の僉判(注1)に任命され、1年後に奉院(注2)に転任、両地合わせて3年の任期が満ちて、江南の呉興県の知事を拝命しました。そこで妻の秤心と従僕を伴い呉興県へ赴任しました。 任地に着いて、気持ちもどうにか落ちついたある日、秤心が突然李元に別れを告げました。 「弟が命を助けられたご縁により、3年前、両親の命であなた様に傅くことになりました。しかしながら、既に父の竜王が申した3年という期限が参りました。もうお暇をとらねばなりません。どうぞあなた様はくれぐれもお大事に過ごされますよう」 李元は思い切れず、秤心に進み寄って抱きかかえようとしました。が、その時にはもう一陣の風に乗って秤心は門外に飛び去っていました。秤心の足元に雲が湧き、雲に乗った秤心は少しずつ天に昇って行きました。李元は天を仰いで秤心を呼び、泣き続けていると、天から短冊一枚がひらひらと舞い下りて来ました。 「あなた様はまだ若くていらっしゃいます。どうか別のご良縁をお求めなされませ。そしてあなた様が大臣になられましたら、引退なされたがよろしゅうございます。私は父のもとに帰らないと重い罰を受けます。どうぞお許しくださいませ」 と書かれてありました。李元は長い間秤心を思って悲しみ続けました。 その後の三年目、李元は任期が満ち、陳州に帰って、秘書の官(注3)も授かりました。そして王の丞相(注4)から婿に迎えられ、累進して吏部(注5)の大臣になりました。 話によると、呉江の西門外に竜王廟が残っていて、これはその昔、李元によって建てられたものと伝えられています。(終り) ■注釈 1)僉判:州府の幕寮、長官の文書助手。 2)奉院:各地の朝廷駐在機構。地方と朝廷の連絡窓口。 3)官:県の全般の文書処理部門の長官 4)丞相:君主を補佐した最高位の官吏を指す 5)吏部:文官の任免・評定・異動などの人事を担当した。 ************ ******** 前に戻る TOPへ |
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