憲法九条を世界遺産に    

太田光 中澤新一 著     集英新書

                      


  先日、テレビでこんな場面があった。このところの日本外交について、評論家たちが「戦略がなさすぎる」という批判を口々に言うなかで、爆笑問題の太田光が「でも、もしかしたら、そんな日本の外交が進んでいる姿かもしれない」という趣旨の発言で、場の空気を変えていた。

 裏表のない外交を理想とするならば、の話だ。彼が本当に日本外交を「進んでいる」と思っているのかどうかは分からない。ただ、ひとつの意見がその場を凌駕しようとしているのを、水をさっとかけて止めようとしたのだと思う。既成概念をひっくり返したところに、笑いやユーモアが生まれるとしたら、お笑い芸人として彼は、ひとつの意見が「既成概念」となることに気持ち悪さを覚えるのかもしれない。

 本書の「憲法九条を世界遺産に」というタイトルは、太田氏の独特の言い回しで、憲法九条という特異性や現実との齟齬を受け入れた上で、「下手をすれば殺される」「下手をすれば、相手を殺す」というところまで覚悟して守るべきだという主張だ。

 そもそも、憲法九条は、太田氏の言葉を借りると「日本人の、十五年も続いた戦争に嫌気がさしているピークの感情と、この国を二度と戦争を起こさせない国にしようというアメリカの思惑が重なった瞬間に、ぽっとできた」。つまり「あの血塗られた時代に人類が行った一つの奇蹟」だという。「いまこの時点では絵空事ごとかもしれない」、戦争をしない・軍隊も持たないというこの条文は「人間の限界を超える挑戦」だと太田氏は言い切っている。

 さて、昨今、朝鮮半島のニュースを目にすることが多く、留学した友達が言っていたことを思い出した。「韓国は徴兵制があるから、政治の話が他人事にならない。ちょっとした政治の動きで、自分が戦争に行くかもしれないという緊張感があるから」。一方で、戦争も軍隊も放棄した私たち。「私たち日本人は、人間の限界を超える挑戦をしている」という思いで、政治情勢を見ているだろうか。覚悟の上での憲法九条なら世界に誇れるが、ちょっとおぼつかない。だからこその、世界遺産登録なんだろうな。(真中智子)



中国を読む・目次へ戻る      TOPへ戻る