プリンセス・トヨトミ                 万城目学 著       文藝春秋社

                      

  これは、現代を舞台とした「大阪国」の物語(フィクション)である。

 歴史に「もしも」はないけれども、「もし豊臣秀吉の末裔が現代まで生きていたとしたら」という大胆な仮定を土台にしたとき、壮大な光景を描く小説になる。詳細は、本書を読んでいただくとして(何をどう書いても「ネタばれ」になってしまう)、会計検査院の調査官3名の調査の先に突如「大阪国」が現れ、だからもちろん「大阪国総理大臣」が登場し、そして、極めつけには大阪が全停止し…と、かなり思い切ったストーリー展開なのだが、具体的な歴史背景と細かい市井の人々の描写が説得力を持ち、すんなり「大阪国」が入ってくる。

  設定が無理なく入ってくるのは、フィクションのなかに、ある真実が含まれているから。「大阪国」ではないが、私たちは、なんとなく地域性を持って生活している。それは自身が30年住み慣れた土地を離れて、新しい場所で4年が経とうとしているからこそ感じるのかもしれないが、「そこの土地に生きている」という事実から受け取る「何か」が確実にあって、そして顔も名前も知らないけれど、同じ地域で生活しているすべての人たちでその「何か」を共有している。

 例えば、最近、近所に百貨店がオープンし、人の流れが変わった。その百貨店は、一度なくなったのだが、住民たちの強い要望でリニューアルオープンしたという噂があり、その噂どおり、オープンしたときに、街全体のウキウキ感がハンパでなかった。美容院でも、スポーツジムでも、喫茶店でも、いろんな世代の人たちが、百貨店についてのおしゃべりをしているのを幾度となく耳にした。私ももちろん、引っ越してきたばかりの頃から、工事中だった建物を見上げて、百貨店の完成を3年ほど心待ちにしていたこともあって、同じワクワク感をたくさんの知らない人たちで共有していたんだなぁ、と実感してしまった。

 「大阪国」に比べて、かなりスケールの小さい話になってしまった。「大阪国」は年間5億円の公費でメンテナンスされているから、かなりちゃんとしているのだけれども、やはり基本は地域の人たちが共有する思いとか意識だと思われて、だからなんとなく腑に落ちるのである。 (真中智子)



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