中国はチベットからパンダを盗んだ    

有本 香 著     講談社

                      

 刺激的なタイトルだが、本の中身は、チベット問題の入門書だ。

 著者はアジアを中心に活動しているジャーナリスト。当然、中国人の親しい友人たちを持つ。その友情の篤さを知っているからこそ、教養も思いやりもある友人たちが、ことチベット問題については無理解に教育されていることに、怒りを感じている。

 著者は、日本人たちの無関心さにも警告を鳴らす。北京オリンピックの少し前に起きたデモによって、ようやく日本のマスコミが取り上げ始めたチベット問題は、50年以上も前から、そこにある。ただ私たちが気づこうとしなかっただけだ。

“同じ仏教を信仰し、長い伝統を残しながら、発展をとげた日本”―著者によれば、それがチベット人の日本への印象だそう。「いえ、仏教を意識するは年末の鐘くらいで、正月は神社に行くし…。日本の伝統って何だろう…。」と気恥ずかしくなる一方で、チベット人への印象を言葉にできない自分に気が付く。

 歴史を遡って100年前、チベットと日本には交流があり、留学生など人の行き来もあった。第二次世界大戦中に、連合軍が日本と戦うための空軍基地として土地を貸してほしいと依頼してきたときも、チベットは日本との友好関係を理由に断ったという。そんな「貸し」も私たちは知らずにいる。

 視点を南西へ動かして、現在もチベット人が数千人規模で亡命しているインド。格差社会に眉をひそめる人もいるが、何よりインドは、多民族、多言語、多宗教の国。憲法で公認されている言語は20以上、地方語は800あるとも言われる豊かな国。著者はそのインドを日本のアジアのパートナーに推薦する。

 どんな国でも隣国と仲良くするのは難しいといわれるなかで、インドは適度に距離が離れているし、何よりもインフラ整備や環境対策などの面で日本の技術を心待ちにしてくれている。また、インドのような異人種と付き合うことで、日本の視野が広がるのではないかと著者は言う。

 なるほど、アジアは広い。「日本の閉塞感」なんていう言葉を聞き慣れてしまったのは、私たちが視野狭窄に陥っている証拠かも。目の前は行き止まりでも、ちょっと視点をずらしてみたら、今まで気づかなかった道がそこにあったりして。(真中智子)



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