「中継されなかったバグダッド」           山本美香     小学館(2003年7月発行)
「従軍日誌」イラク戦争・兵士と過ごした36日  今泉浩美  日本テレビ放送網(2003年7月発行)

                      

  
年齢も近く、同じ女性記者としてイラク戦争に関わった二人の著者の、それぞれの本を読んだ。

  今泉浩美さん。従軍記者として、米軍とイラク戦争の36日間を共にした。

  山本美香さん。戦争が始まる3日前にバクダッドに到着し、フセイン像倒壊の日を迎えた。ちなみに、その日を、今泉さんは「バクダッドが陥落した」と書き、山本さんは「けたたましいキャタピラの音が、バクダッドの町にとどろいた」と書いている。

  今泉さんの本に、山本さんの名前が出てくる。山本さんが滞在していたホテルが米軍に攻撃された日だ。山本さんの隣の部屋に滞在していた記者やカメラマンが死亡。山本さんは、顔見知りの死を、なすこともなく見送った。死んだのは自分だったかもしれないという実感を持って。そして、言い切る。「これが米軍の本性だった。(中略)やはり、米軍は私たちメディアを攻撃したのだ。アメリカの提供した、管理した従軍取材以外のジャーナリスト活動は認めない。攻撃の対象になっても仕方がない。それが彼らの考えなのだ」。一方、そのニュースを聞いた今泉さんは、「加害者の一人になったようで、すごく後味が悪い」という気持ちに襲われ、従軍している部隊の攻撃ではなかったか必死で確認する。「米軍がジャーナリストがいるホテルを狙ったりするのだろうか…」という疑問を抱いて。

  今泉さんは、とても正直だ。アメリカの攻撃に立会いながら、「この砲弾の着弾点では間違いなく人が傷ついているはずなのに、悲しいことに相手の顔が見えないというのは『命の重さ』を体で実感できない」と。攻撃された国にいた山本さんは、5ヶ月の赤ん坊を亡くした家族や、全身に破片のささった子どもを見守る母親のうつろな目を前に、「戦争に協力している人たちは、一度ここに来て見てみればいいだろう」と言う。

  今泉さんが取材したアメリカ兵の多くは、大学の奨学金を得るため、家族を養うため、家を買うために、志願して兵隊になった。彼らも戦いたくない。けれど、除隊はできない。契約期間中に除隊すると、一生の汚点として記録に残る。そのため除隊できずに、自殺する兵士も多いという。彼らはこの戦争が終わらないと家に帰れない。だから、この戦争を「ROAD TO HOME(家路)」と表現する。しかし、攻撃された人たちは「HOME」そのものを奪われた。

  2冊を読み比べて思うことは、山本さんの立場に身を置かないと、見えないことがある、ということだ。山本さんは仕事の原点に、雲仙普賢岳の噴火被害の取材を挙げている。駆け出しの記者だった山本さんは、当初、旅館に寝泊りしていたが、あるときから避難所で生活を始めた。眠れない、毒虫に刺される…そこで初めて被災者の生活を体で知り、「他人事」が「自分のこと」になる。

  必要なのはこの姿勢である。(真中智子)



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