地下鉄(メトロ)に乗って  浅田次郎・著          講談社文庫

                      

  
地下鉄の駅の近くに30年間住んでいた。3年前にJR沿線に暮らし始めたが、最初の頃は、電車を待っている間の寒さや暑さに耐えられなかった。地下鉄で始まって終わるこの物語を読んで、階段を下りていって外の世界から遮断されるその安堵感を、思い出した。

 浅田氏の小説は、現代の「おとぎばなし」だ。この小説でも、地下鉄が過去と繋がっていて、主人公は「過去」と「現在」を行ったり来たり。街と比べて、地下鉄の風景は、新しい線が引かれない限り、そんなに変わらない。だから、見慣れた風景から、そのまま時代が昭和に遡っても、精神的負担を比較的かけずにタイムスリップできそうな…気がする。

 地下鉄と繋がっている過去は、主人公が反発している父親の若かりし時代だ。彼は、父親と時代を“共有”することで、戦中戦後の混沌とした時代を生き抜くために、父親が苦渋の選択を重ねて「今」があることを知る。いろいろな選択肢のなかで、そのときに自分が「最善」と思えることを選び取ってきての「今」。それは、誰にも否定できないその人の人生だ。主人公が「僕らはただ、父のように生きるだけ」と、運命を受け入れていく一方で、巻き込まれてタイムスリップする彼の恋人は、自らの力で運命を変えてしまう。

 日常の選択の積み重ねが「今」を作り、人生を決めていくのだと思うと少し怖い。昨日、テレビで観た31歳の遅咲きミュージシャンは、引きこもりだった自分を振り切って、旅に出る。世界28カ国、515日間の旅を終えて、彼は、今まで一人だけでがんばっていたと思っていたけど、本当はたくさんの人に支えられていたことに気が付いたという。人生のターニングポイントは、結局、自分の一歩だったりする。どうにもならない世の中で、せめて自分の選択だけは、前を向いていたい。
(真中智子)



中国を読む・目次へ戻る      TOPへ戻る