黙祷しながら思うこと

                      

  8月6日、8月9日、8月15日に、私の職場では、黙祷を行う。ヒロシマに原爆が投下された日、ナガサキに原爆が投下された日、そして戦争が終わった日だ。いつもは騒がしいフロアが、この日、1分間だけ物音がなくなる(時に電話の音が響くことがあるが)。

 黙祷の闇につながる闇がある。高校の修学旅行で初めて訪れた沖縄。そこで経験したガマの闇だ。日本で唯一の本土戦となった沖縄では,ガマという鍾乳洞に住民が逃げ込み、戦火を耐えた(なかには集団自決したガマもあった)。私たちは、地元のガイドに連れられて、住民たちがしばらく暮らしていたガマのなかに入っていった。空気が重い。日頃ははしゃぎがちな高校生たちは、無口になり、それぞれの懐中電灯の明かりを頼りに進んでいった。

 落ち着いたところで、ガイドが当時の生活を語り始めた。そして、最後にこう言った。「今日、みなさんは懐中電灯を持っています。けれど、当時は明かりがなかった。どのくらいの闇か…。経験してほしいと思います」そして、懐中電灯を消す合図が出され、辺りは、闇に包まれた。私は、思わず、近くにいた級友の手を握った。その子のことは、あまり好きではなかったけれど。すぐに彼女が手を握り返してきた。そうでもしていなければ、そのまま闇に吸い込まれてしまいそうな恐怖があった。

 私たちは、この闇を、今も内戦や戦争をしている、どこかの国の人たちの「暗闇」だと教わった。過去の苦い歴史を学ぶのは、今もその暗闇にいる人たちに思いを寄せ、平和な世界の実現を願うためだと、教わった。

 あれから17年。日頃は忘れてしまっているこの闇を、黙祷の短い時間に、ガマの湿った空気と共に思い出す。私は、この平和教育を受けられたことを、誇りに思う。         (真中智子)


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