番外 「外国人のための子育て支援会議」 を傍聴して思う

                      

  某市が主催した‘外国人のための子育て支援会議’を傍聴した。この会議は、市内に住む外国人の子育ての現状を把握し、外国人の子育て支援及び国際交流の推進に資するため、設置されたという。会議での検討内容は、市長へ報告され、施策に生かされるのだろう。会議には、外国人ママ、日本人ママ、子育て支援活動をしている市民、市の職員が参加していた。

 全4回行われた会議のうち、傍聴したのは最終回で、外国人保護者が困っていることが報告された。抜粋して挙げると、

 ①日本の子育ての価値観や文化の違いに戸惑う 

 ②子どもに母語や母文化を伝えたいが、日本では難しい

 ③子どもが日本語を覚える速さに親がついていけず、  親子の共通の言語でのコミュニケーションが難しい ④母親同士の口コミによる些細な情報を入手できない ⑤地域に相談できる人がいない 

 などなど。

 それらの課題に対して、市職員が行政の取組みを紹介し、不足している支援については、今後の検討の余地を残して、会議は終了した。

 この会議を開催した意義は大きいし、評価できる。ただ、自治体だけで外国人家庭の支援を行うのは無理があると、会議が進むにつれ感じずにはいられなかった。会議の総括でも「地域サポートも重要」と、地域の力を借りる必要性について述べられている。

 そもそも「支援」という言葉は「支援する側」と「支援される側」と双方が分けられたような誤解を招かないだろうか。手元の広辞苑第四版では「支援」を「ささえ助けること。援助すること。」とある。でも、きっと必要なのは「ささえ合い、助け合う」ことだ。

 日本に来ている外国の方は、日本語を勉強し、海を渡って来てくれた、日本と縁のある貴重な人たちだ。彼らが、日本で暮らし、日本を好きになってくれることが、「国際交流の推進に資する」根幹部分。例えば誰かと信頼関係を築くとき、そこには自分が助けてもらっていると同時に、自分も相手に必要とされているという実感があるはずだ。その信頼関係は、「支援」という言葉ではくくれない。

 傍聴しながら、わんりぃの活動が思い出された。当会議では、和食を作る交流会が紹介されていたが、わんりぃの講座は、逆に外国のことを教えてもらうことが多い。そういえば、活動で教わったグリーンカレーは、当時の私の勝負レシピだった(これしか作れなかった) 
(真中智子)



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