番外 「外国人のための子育て支援会議」 を傍聴して思う
                      

 外国人先輩ママの体験談を聴きに言った。知人に誘われて行ったが、思いがけず一人の発表に泣きそうになってしまった。

 Aさん。就学前の子どもを連れて中国から来日。Aさん夫妻は共働きのため、保育園に入所申請をするが、「子どもが日本語を話せない」という理由で断られ、今でも悔しい思いがするという。誰も預けられる人のいない異国の地で、Aさんは、子どもを1人で留守番させ、後ろ髪を引かれる思いで仕事に向かった。(「今考えても、危なかった」とAさんは述懐している。)息子は何も話さなくなった。このままではいけないと、Aさん夫妻は一大決心をする。中国に息子1人だけ帰したのだ。子どもを中国に置いて別れるとき、日頃、言葉を話さない息子が、「お母さん!お母さん!」と叫ぶ声が、今でも耳元で聞こえるとAさんは語った。(思わず、泣きそうになる。聴衆一同が、シーンとした)

 この決断は辛くも正しかった。息子はめきめきと中国語を覚え、友達もでき、溌剌としてきた。安心した両親は、すでに小学生になっていた子どもを日本へ呼び戻す。しかし、彼の受難はさらに続く。すっかり忘れた日本語でのコミュニケーションができず、また授業の進め方も中国とはまったく異なる。当然、クラスには馴染めず、学校でのトラブルも多かった。

 小さかった息子も、大学生になった。日本にも帰化したという。ここで体験談は終了したが、思わす手を挙げて質問する。「息子さんは、大変な体験をされたけれども、今それらをどのように感じていらっしゃいますか?」。返ってきた答えはしんどいものだった。

 「息子は、日本人の友達もいるし、日本のことが大好きです。でも、帰化するのを勧めたとき、とても嫌がった。帰化すれば、自分が今まで戦ってきた意味がなくなると」。

 日本社会は、彼にとって戦いの場だった。帰化をすれば、その日本社会に自分が組み込まれてしまう。とてつもない葛藤が、彼を襲ったことだろう。そしてそれは今でも続いているのかもしれない。

 「戦ってきた意味がなくなる」と彼に言わせたすべてのものに、本当の意味で勝つために、どうか最高に幸せになってほしい。                                                                                           



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