この国のかたち 三          司馬遼太郎 著       文春文庫

                      

 先日、明治神宮のなかにある清正の井戸を見てきた。パワースポットとしてご利益があると話題になったときは、長蛇の列だったが、最近はそこまでではないらしく、少し並びはしたが、すぐにその水に触れることができた。加藤清正は、以前、司馬遼太郎の小説で出会った。声の大きい、まっすぐな登場人物として記憶している。

 加藤清正は関ヶ原合戦で徳川側についたものの、生涯、豊臣家への忠義を忘れなかったという。朝鮮へも出兵した経歴を持つ。ちなみにこの本で著者は、豊臣秀吉の朝鮮国出兵に対して、まったく理解できないとし、秀吉は天下統一をなしとげて、軽度のパラノイアに罹ったのではないかと仮定する。また、徳川家康の言葉を引用し、当時の人々も、まったく理解できなかったと説明。「晩年の秀吉の“病気”による禍害は、当時だけでなく、こんにちまで隣邦のうらみとしてつづいているのである。やりきれない思いがする」と結ぶ。

 別の章では、この出兵により、人々は豊臣政権に厭き、徳川家康の安定感を求めたとしている。その世間の気分により、徳川家康は「関ヶ原合戦をへて天下を継承した」。これを著者は「時の流れ」と表現している。

 この「時の流れ」が歴史を左右する。そして、これを作り上げるのが、私たちひとりひとりだとすれば、歴史の大きな決定には、自分たちの責任が問われることになる。だからこそ、後世の人たちに対して、申し訳のない選択をしてはいけない。

 これまで「知ることから始めよう」と書いてきた。けれど、昨年の3月11日を経験し、防災に対して、原発に対して、自分たちの意識がもう少し高かったならば、被害はもっと抑えられたのではないかと思えて辛い。「知らない」「関心がない」ということは、その時点ですでに罪なのかもしれない。(真中智子)





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