「ミラクル」  

 辻 仁成  著     望月通陽  挿画    新潮文庫 

                      

 最近、「アタッチメント行動」という言葉を覚えた。

 養育者(主に母親)に対して、乳児が示す愛着行動のことで、他の人に対してよりも母親に対して、子どもはよく笑い、声を出し、泣き止むなどの行動を取る。母親がトイレなどでちょっと席を立つときに、小さい子を預かることがあるが、言葉を話せない子どもから発せられる「お前じゃねーよ」というメッセージはハンパでない。こちらも泣かれて,嫌がられて、「はいはい、分かってますよー」と思っているが,母親が戻ってくる数分間、耐えるしかない。

 面白いもので、生後数ヶ月の赤ちゃんは,意外におとなしく待っている。「あれ?おかしいなー」という微妙な空気は感じるけれども。そう思うと、私を嫌がるこの子は、母親と他人を区別するという順調な発達段階にあり、さらに、しっかり愛着できた子は、その信頼を基本にして、外へと向かっていくわけで、人間ってすごい。

 この物語の主人公のアルくんは、不幸にして生まれるときに母親を失っている。だから、充分な愛着行動ができなかったのだろう、母親をずっと探し続けている。そのため、大人には理解不能と思われる行動を取ることも。母親という生き物を知らないアルは、「母親とは許してくれる人」「人間はずっとママに許されて生きていく」と仮定して、母親探しを続ける。けれど、誰も自分の母親だと言ってくれる人はいないのだ。

 物語を読み進めていくうちに、この物語の「ママ」とは、神のことではないかと思えてきた。人は神を求めるけれども、「ハイ、私が神です」とはっきり明言してくれる人はいない(いたとしたら、ちょっと疑ったほうがいい)。物語はラストで、タイトルどおり「ミラクル」が起きるのだが、私たち大人も、はっきり分からないけれど、なんとなく大きな力を感じて救われることが、あるのではないだろうか。

 ちなみに「現実に振り回されている」と、「ミラクル」は見えないそうだ。大人になるというのは現実を知ることだから、大人になれば何も見えなくなって当然。だからこそ、「ミラクル」とまではいかない日々のささやかなことに、感謝して生活していけたらいい(それさえも難しいときはあるけれど)。(真中智子)。





中国を読む・目次へ戻る      TOPへ戻る