ジャーナリスト山本美香さんの死を悼む

                      

 8月20日,ジャーナリストの山本美香さんが亡くなった。シリアで戦闘に巻き込まれたとニュースが伝えている。

 昨年5月にわんりぃのこの欄で、山本さんの著書を紹介した。山本さんが雲仙普賢岳の避難所で生活して、初めて取材のスタート地点に立てたエピソードに触れた。震災から約2ヶ月。被災者と同じ視点に立つ山本さんの姿勢に打たれた。紛争地帯で、子どもや女性に視点を向けた取材姿勢だったという。

 皮肉にも、8月は日本中が平和を考える季節だ。私はぼんやりと、ナガサキとヒロシマのことを想っていた。震災の原発事故では、日本中が騒然となり、もしかしたら東日本には住めなくなるのではという恐怖に襲われた。危機的状況は脱したものの、豊かな自然は汚染され、未だに植物、蝶、虫、魚などの生き物に与えている影響が報道されている。取り返しのつかないこの事故のせいで、放射能の怖さにようやく私たちは気が付いた。

 この放射能をあえて、わざわざ、ばらまく核兵器が、67年前のナガサキ・ヒロシマで使用されたことを想うとき、本当に戦争の愚かさを心底感じずにはいられない。アメリカがどうだとか、日本がどうとか、そのような次元をすべて超えて、なんてくだらないことをしたのだと、そのくだらないことを行ってしまうのが戦争だとしたら、なんて戦争はくだらないのだろうと、それだけだ。

 世界はつながっている。海だって、空気だってつながっている。だから原発事故当時、世界中が日本の対応に注視した。世界中のすべての人たちが被災者になる可能性があったから。でも、だとしたら、核戦争が起こるとき、世界は、勝者も敗者もなく、被害者だけになるのではないだろうか。

 山本さんの死を想うと、哀しくて仕方がない。面識もなく、著書もそんなに読んだことはないのに、ニュースを見ながら哀しくて泣けてくる。現場で何が起きているのか、戦闘地帯に暮らす人たちを記録することで、戦争のくだらなさを伝えたかったこの方が、そのくだらなさに巻き込まれて亡くなったことが悔しくてならない。                            (真中智子)




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