不安を受け入れて生きる

                      

  台風が上陸するという日、ちょうど休日だったこともあり、すべての予定をやめて、家にいた。以前と比べて、大分、いろいろなことに臆病になった。

 10年前、20代の頃は、営業職で、台風の日も飛び回っていたのを思い出す。「こんな日に…」と、訪問先の人が驚くのが楽しかった。多少体調が悪くても、気にならなかった。医者にも行かず、気にしないうちに、治っていた。

 2011年3月、震災の影響で交通網が乱れると聞いたとき、すぐに出勤自粛を決めた。職場に連絡したが電話が通じず、同僚にメールして上司に伝えてもらった。自分の判断が、自分でも意外な気がした。以来、台風の情報があると、早めに職場から帰ったり、雷が鳴ると駅構内で待つようになった。体調が悪ければ、無理せず病院に行き、以前は勝手に減らしていた薬も、今は処方どおり飲んでいる。

 結局、日常は、些細なことで変わりうるということを実感したことが大きい。なにより日本は、原発事故の後処理という不安を抱えて生きている。その不安が、なんとなく色々なことを臆病にさせる。先日、震災前に流れていた、あるテレビCMをインターネットで偶然観て、その気楽な感じに、「あの頃はよかったなぁ」などと、うそぶいてしまった(今、そのCMは「生きてくことが、つらいなら」という歌詞の音楽で、少し暗いものになっている)。

 先日、私も大好きな朝ドラ「あまちゃん」で、震災の日が流れていた。東京にいる人たちのリアクションで語られた「あの日」は、私の心をざわつかせた。後日、「海が怖くないのか」と尋ねる孫のアキちゃんに、祖母の夏ばっぱは、海が怖いのは今回が初めてではないこと、いろいろなことがあるけれど、ここが自分たちの生きていく場所だと諭す。

 不安を抱えながら、ではなく、受け入れて生きていく。臆病で、構わない。    (真中智子)


           
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