映画「そして父になる」を観て

                      

  「6年間育てた息子は、他人の子でした」

 ショッキングなコピーのこの映画は、第66回カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞し、話題となった。「福山雅治」「子ども」というキーワードが私の検索エンジンに引っかかり、公開早々、観にいくことに。

 病院での赤ん坊の取り違え、という事件を下敷きに、物語は進んでいく。小学校に上がるちょっと前に、自分の子が実は取り違えられた他人の子だった、という現実を前に、福山雅治が演じる主人公が「父親」になっていく話だ。

 主人公である良多は、高層マンションに住み、仕事でも成功して、いわゆる「勝ち組」の人だ。だからこそ、競争心のない優しいおっとりした息子・慶多に歯がゆさを感じ、その子が自分の子でないと知ると、「そうか、やっぱり」と、つぶやいてしまう。

 もう一方は、郊外の電気屋で、妹と弟、祖父と両親の大家族。生活は大変そうだが、笑い声は絶えない家庭である。そういえば、子どもの頃、同じ団地にこんな家があって、いつも近所の子どもたちで溢れていたような。

 良多は、嫌な奴で、人の心の機微が分からない。自信満々で、育てた子と実の子二人を引き取ろうと決める。相手の家は「どうせ電気屋」とどこかで思っていて、いざとなればお金で解決できる、と。雑談ついでに、二人とも引き取りたい、金なら用意すると提案し、相手の家族は逆上、妻はドン引き、巡り巡って、「成功者」であったはずの自分は、父親として欠陥品であったことを思い知らされる。

 「そして父になる」のタイトルは秀逸だ。子どもの葛藤が表現されていないという批判もあるかもしれないが、ここでフォーカスされているのは、己を振り返ることのなかった男が、事件をきっかけに、父親としてどう成長していくかだ。正解はないと言わんばかりに、この映画は「結論」を出さない。育てた子も、実の子も、どちらも選べない。大事な問題に、答えはない。ずっと抱えていくしかない。

                                                   (真中智子)


           
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