「五月病」その後

                      

  前回、五月病になったと、この欄で書いた。その後、のことである。

 あの原稿を書いた後、10年前に五月病になったことを思い返した。引き金は、1つ下の新入社員だった。当時、社会人2年目の私は、小さい出版社で営業職として、がんばっていた。営業成績もよかった。やりがいを感じていた2年目に、新入社員が3人入ってきた。彼らはいい大学を出て、編集者志望で、若者はみなそうだが、やる気と自信はあるが、実力はこれから、という男の子たちだった。そして、彼らは、自分よりもよい基本給で契約をした。さらに、そのなかの1人が、営業職への配属を打診され、「営業をやるくらいなら辞める」と言い放った。それら、一連のことが、一気に自分を五月病へ引き込んだ。彼らが入社して4ヵ月後、会社を辞めた。

 今の自分なら、どうするだろうか、と考えた。おそらく、極力冷静に社長に打診するだろう。1年間の実績を鑑み、基本給を新入社員よりも高く契約してほしいと。当時の自分は、慰留する社長に、なにひとつ退職理由が説明できなかった。妙なプライドがあったのと、退職の理由を自己分析しきれていなかったのが敗因だ。

 今回の五月病も、引き金があるはずだと、冷静に考えてみた。心あたりはひとつあった。異動前の部署では認められていたことが、今の部署では認められていなかった。ささやかことだが、モチベーションを下げるには充分なことだった。思い当たった翌日、その案件について認めてほしいと上司に打診した。これは自分一個人の問題ではない、非正規社員にこの件が認められていないのは、当部署全体の課題であると、冷静に話した。結果、その案件は認められることになった。不思議と、五月病も治った。

 10年前の自分に言えることがあるなら、退職を決めて、たまった有給休暇を使って中国旅行に行ったのは、なかなかいいチョイスだった。けれど、もっと別の選択肢も探してみてよかったのでは、ということだ。ただ、あのときに一つの選択肢を選んだからこそ、別の選択肢があるということを学べたのかもしれない                                      (真中智子)


           
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