映画「風立ちぬ」を観て、考えたこと

                      

 映画「風立ちぬ」を観た。賛否両論ある映画で、意見の分かれ方が興味深くて、観にいった。評価が分かれるものに触れるとき、どちらの意見により近いかで、自分がどんな人間なのか、なんとなく分かるものだ。

 結論から言うと、私は、この映画をとても魅力的だと思った。賛否があるのも頷けた。この映画のテーマのひとつが「矛盾」だと言った人がいるが、まさに賛否の評価を包括していることこそが、この映画の良さだともいえる。

 物語は、ゼロ戦が生み出されていく流れを縦軸に、主人公二郎と妻の菜穂子との恋愛を横軸に進んでいく。私は、二郎が時代を背負って、ゼロ戦を完成させていく様に惹かれていった。「彼はゼロ戦の設計という形で、戦争に加担した」と言ってしまうことはたやすい。しかし、あの時代はすべてが戦争に直結していった。自分の才能を開花させ、やりたい仕事を全うするには、戦争に加担するしかなかった自然な姿がそこにはある。  

戦争に加担する気持ちがなくても、結果、そうなってしまったという姿は、現代に生きる私たちすべてに繋がっているように思えてならない。というのも、100年後を生きる人たちに、胸を張って対峙できるのかと問われたとき、私はまったく自信がないからだ。それどころか、日々入ってくる原発事故のニュースに触れるたびに、未来の人たちに申し訳なく思う。彼らに、「なぜ、日本は原発に頼らなくてはいけない電力供給システムを選んだのか」と問われたとき、無関心で節電もせずに事故以前を生きていた私は、返す言葉を持たない。

 映画で、余命わずかの妻と一緒に時間を過ごしたい、けれど仕事を辞めるわけにはいかない、という二郎に対して、上司が「それはエゴではないのか」と問いかけるシーンがある。「生きる」ということは、矛盾を抱えており、エゴであって、罪深いことなのかもしれない。         (真中智子)


           
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